おもかげ色の空 |
「誰が一番にFを弾けるようになるか」と競争したり。
新入生歓迎ガイダンスの後では、ほか弁の一番安い海苔弁が出て、一人で食べる御飯にまだ慣れぬ身には、皆で食べるそれが格別においしかった。
「コンパ」と言っても、ギターを持ち込んで、皆で歌いまくり。
私の下宿は温泉街だったので、お風呂はなくて、近所の共同温泉風呂。
お湯も出ない台所。
電話もなくて(当時は十万円近くする「権利」を買わなくては電話がひけなかった)、携帯電話もない時代で、
近くのスーパーの公衆電話に、いつも電話を掛けに行った。
みんな、初めての一人暮らし。
私の下宿は、人恋しい一年生達が吹き寄せられて集まる場となり、来客が絶えず、
一緒にお料理したり、青い人生相談をしたりして、
そのまま合宿所のように雑魚寝して、わいわい過ごした。
サークルボックスに行けば、常に誰かがいた。そして、皆で歌った。
コンパの〆は、確かいつも「おもかげ色の空」だった。
先輩の22歳の誕生日には、皆で「22才の別れ」を歌って冷やかした。
それまで洋楽ロック一辺倒だった私にとっては未知の世界で、しかも一昔前の歌ばかりだったのだけれど、それが当時の心にぴたりと合った。
ある秋の雨の日に、愛しのビートルズを貶された事にかっとなり、
大喧嘩してそのサークルを飛び出して、
学部に上がったら勉強が忙しくてそれどころではなくなって、
そのうちに私の下宿も建て替えられる事になって引っ越して、
あの教養部時代の1年間は、今思うと夢のような時間でした。
何年か前に、その大喧嘩の相手からメールを貰って、再会して、
とても幸いな事に、思い出から苦味も抜いてもらえました。
今となっては恥ずかしくて直視できないような、当時のあの青さが懐かしい。
今年の帰国では、そんな歌たちのCDも買って来ました。
(恥を忍んで、スーパーの演歌流れる「本人歌唱!」という懐メロコーナーで・・・笑)
船便の荷物の中に入れたのがこの週末に届いて、
それらを聴きながら、また少しずつ部屋の片付けをしています。
(床上浸水から一年経って、ようやくその痕跡が消えつつあります。)

この一番奥の家に住んでいました。背後の山は美ヶ原高原。
十数年ぶりに訪れてみたら、
家は軒並み新しくなっていたけれど、目の前の畑は変わっていなかった。
美ヶ原高原は一度しか行ったことがない、家族旅行の想い出の地です。
私には観光地だったのですが、熊さんにとっては生活の一部の景色だったのですね・・・。旧友とのメール、蘇る思い出、青春のほろ苦さ。
私も学生時代を振り返り、ちょっとしみじみしました。
こんな時間に何をなさっているのですか?!(夜更かし?早起き?)
苦ーかった思い出を、笑える素敵な思い出に変えてくれた、喧嘩相手の彼に感謝です。
日本のスーパーって、何でもあって凄いですねー。あはは。
当時の青い私なら絶対に寄りつけなかったであろうコーナーで、がしがしCDを漁ってしまった辺りに、歳月の流れを感じます。

記憶が薄れたことと、建物が多分きれいになって
しまっていて、ちょっと見慣れない感じがしてしまいます。
でも、後ろの山と、空気感が松本らしくてなつかしい!
そうそう、一番手前のお家に下宿していたあの二人も、今はどうしているかなー・・・なんて思います。
ここの砂利道を踏む感触が、とっても懐かしかったです。
好きな曲のいくつかには、忘れられない時間やシーンがはりついていて、
思い出のスイッチになっています。
齢をとるほど(ああ、齢と言ってしまったわw)鮮明になるシーンもあります。
最近の音楽にはついていけないので、もっぱら昔の曲を聴いているわたしです。
昔の曲のほうが、ぜんぜん、いいじゃーん! な~んて♪^-^
ここ何年も聴いていなかったのに、最後まで歌えました。
昔の歌の歌詞って忘れないんですね(笑)。
ついでに思い出も蘇ってちょっとうれしい気分。このブログのおかげです。
リンクさせて頂きました。これからもよろしくお願いします。

「おもかげ色の空」、私も大学時代、歌いました。ギター片手にね。同じ世代を生きたのかなあ?グループ組んで、ハモってましたよ。
やっぱり、今でも歌えます。そして、今の方が、若いときより情感たっぷりに歌えますなあ。
うふふ、やっぱりそうですよね。
久しぶりに聴くと、当時の状況とか光や温度まで、うわーんと甦ってくる感じで。
私など、懐メロコーナーでがしがしやっている時に、心の中で、
「いいもーん、どうせもうおばちゃんだもーん」・・・。
おお、mimpianさんは「おもかげ色の空」を歌える方なんですね!
今の私の頭の中には、「海岸通」が繰り返し流れています・・・。
リンクも有難うございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。
私は多分、はづやんさんの一世代くらい下だと思います。
「イマドキこんな歌をねえ・・・」と言われるサークルだったんです(笑)。
ところで、Stuttgartでは何をなさっているのでしょうか。
是非、Koenig通りでギターの弾き語りでも・・・♪

私は、大学時代4年間通して、体育会クラブに所属したけれど、やっぱり「大学の思い出=クラブの思い出」という感じがして・・・。
ちなみに、私たちのコンパの〆は、大学の学生歌。(汗) 当然ながら、未だに歌えますよ~♪♪
1メートルぐらい浸かって、大惨事でした^^;
それと、わたしもギター弾くんですよ~♪(クラシックギター)
なんかいろいろ共通点があって、友達みたいな気分です^^
大学の思いでもちょっと似てて・・・^^
学部に上がったら只管勉強・・・だったので、
この教養部の一年間が、普通の楽しい大学生活を全部凝縮していたような感じです。
体育会系は、コンパがきつそう・・・(笑)。
うわー、1メートルはきついですね。
しかも、お子さん達がいての後始末は、本当に大変だった事でしょう。
あ、私もサークルを出てからクラシックギターをやっていました♪
今はもう指が動かなくなってしまっていますが・・・。
すみません。今頃ですが、くまさんの1年前の記事を読み、くまさんが松本に住んでいたことを知りました。
私の兄一家はこの写真の近くに住んでいて、甥と姪は信大付属松本小・中に通っています。
なんだか懐かしくてコメントせずにはいられませんでした。
くまさんのブログ、心に染みます。
息子も、くまさんの下宿地の近くの惣社という地区に住んでました。それらの近辺の風情の溢れることったら・・・素敵でした。
そのくまさんは、大学の記念冊子に載ってらして、誇りなんですよ。勉学に打ち込める意志のあるものを包んでくれる信州。
ご本人の生き方と共に魅了しされてます。
過去の記事まで読んで下さって、有難うございます。
松本には卒業後も何年間か住んでいたので、
とっても沢山の思い出がつまっています。
冬は寒いけれど、大好きな地です。
嬉しいお言葉を有難うございます。
当時は、地質や医学留学の件で、「問題児」だったのですけれどね・・・。