山男達に有難う |
(恥ずかしながら、高三時の文集より)
名東高校での三年間の生活の中で、最も貴重な体験となったのは、矢張り山岳部員としての事だろう。私が入学した当時、山岳部には部員が一人も居なかったうえ、女子はお断りという状況だった。オリエンテーションも無ければ、ポスターもビラも無かった。それでも私を含む七人の入部希望者が集まり、山岳部の活動は再開された。
人はよく、何故山岳部になんか入ったのかと私に問う。それも、あんな男ばっかりの中に一人でなんて、と。山が好きだからというのは嘘だ。私は山歩きの経験も知識も皆無だったのだから。ただ、ほんの少しの好奇心と、人並みの自然に憧れる心があっただけなのだ。問うべきは、何故入ったかではなく、何故続けたかであろう。最初は意地だった。でも、それから私は本当に山の魅力の虜となってしまった。露に濡れる可憐な高山植物を見て。燃える音が聞こえてくるかの様な満天の星を見て。朝日に染まる雲を見下ろして。私は登る事自体より、苦しい登りのあとに約束されている自然の美しさに強く惹かれた。そして、その為には辛いトレーニングにも耐える事が出来たのだ。
人が私の事を認め、立派だと思ってくれるのは本当に嬉しい。でも、本当は、私はみんなが思ってくれた程凄くはなかったのだ。全ては仲間達のお陰だった。仲間達が最高の連中だったから、私は続ける事が出来た。彼等は普段目にする限り、そう頑健そうでもないし、少し妙な奴等でしかないのに、いざ山へ行くとなると、とても私の及ぶところではなかった。共同装備の分担は軽いものをまわしてくれたし、山道を歩く時は前後の人が気を遣ってくれた。雨の降る夜中にふと目を覚ますと、誰かがフライングシート(テントの外側に張る、雨・露よけのシート)を直している音が聞こえてきた事もあった。最初の頃は、私がどんなに頑張っても、到底彼等には及ばない事を思い知らされ、ただ悔しかった。そして、彼等の気遣いが心苦しくてならなかった。でも、その内に、これが彼等の優しさなんだなあ、と気が付いた。体力的に劣っている私みたいな奴でも、兎に角みんなで一緒に頂上まで行こう、と思ってくれる心遣いなんだなあ、と。そう気付いたら、彼等の親切は身に染みて、やっぱり有難かった。素直に嬉しかった。
私は、主顧問がN先生でなければ、山岳部に入部する事はなかったと思う。部員には常に真剣且つ厳格な人物で、私達は結構先生を恐れてもいたが、だからこそ安心してついて行けたのだと思う。実際、私が岩場の途中や沢の真ん中で立往生してしまった時、先生がいつも支えを作って下さった。「大丈夫だからここにつかまりなさい」と言って差し出される手は、いつも不思議な程ぐらつかず、私は安心してまた進み始める事が出来たのだった。私が肩を捻挫し、合宿の直前まで三角巾で吊っていた時も、トレーニングの足りない私を連れて行って下さった。絶対に置いて行かれると思っていた為、あの時の嬉しさは言葉では言い表わせなかった。
同じコッヘル(釜)の飯を食らい、一つのテントに雑魚寝した仲間達を、私は決して忘れないだろう。本当に有難う。
・・・・・
この時の山仲間が松坂屋銀座店で10月22日(水)-28日(火)に個展を開いています。
どうぞお出掛け下さい。
久世直幸日本画展
私達は二人とも、大きな夢を抱いていた。
彼が一ステップ成し遂げると私も喜び、私が一ステップ成し遂げると彼も喜んでくれた。
夢の夢だったドイツ医学留学が現実になった時、非売品にしてあった一枚の絵を貰いました。
本物はもっともっと素敵です。日光のもとで見ると更に素敵。
私の大好きなアンモナイト。
日本画は岩石の粉などを絵の具にしているので、
それがまたキラキラして立体感があって美しいのです。
年がばれますが、私が高校受験の年には、まだなかった学校です。
それにしても、近所だったんだわ~。ドイツに嫁に来る前は、
ずっとその区に住んでいたの。
。。。と、内容とあまり関係ないことに反応してしまいました。
ごめんなさい。
在学当時、細くて繊細そうなイメージの彼が、体育会系山岳部に所属しているのが何だか不思議に感じたのを覚えています。
ゲージュツの事はよくわからない私ですが
アンモナイトから小さな芽、不思議で可愛くて素敵な絵だね^^
名古屋では見れないのかしら…と調べてみたら、名古屋でもやってた! けど、既に終わってた!(10/1-7だったみたい)
残念 orz
山登り…
今でこそ、夏休みには日本アルプスとか行きたいなーと思い、自然の風景も、歩くことも楽しめますが、
小学生のころは大きな大きなリュックを背負って険しい山を登るのは、きつかったなー!と思い出します。。。
はーい、そうです♪私の時も、まだ出来立てほやほやに近かったです。
小さい頃は隣の区に住んでいたのですが、引っ越してしまって、
高校へは名古屋をほぼ縦断して通っていました。
高校も当時はまだ空き地の中にぽつんと建っていましたが、
今はあの辺りもすっかり都会になりましたねー。
そうなのよー。
(ねえねえ、私の事は不思議じゃなかったの?!しくしく)
私が単純に「理系?文系?」なんて悩んでいた頃に、「画家」という進路を聞いた時には驚きました。で、ちゃんと本当になっちゃうんだもの、凄いわ。
そっかー。名古屋でもやっていたんだー。
知っていたら、もっと早くに記事を書いたのにな。
でも多分、定期的に展示会やっていると思います。次回は是非♪
はい、いい仲間に恵まれました。中学までが不幸だったので、それに救われました。
子供は山登りって、余り好きではありませんよね。
「あー、くまちゃんならやりそう」と思わせるパワフルさがあったのよねー(笑)
あのあたりは、大学時代に弓の試合に行くときに通りましたっけ・・・。
確か、私のアーチェリー部の一年上の先輩たちが、一期生だったきがするんですけど・・・。みんな英語科出身でした。年がばれますねえ。
休暇で元気を取り戻されたようですね。気持ちを新たに、次の休暇まで(完全に、ドイツ化した考え方・・・)がんばってください。
うーむ、そんなにパワフルだったのかー、私。
そう言えば私、部長からちょっと避けられていて、
久世君に「私、あんまり部長に好かれてないよねー」と言ったら、
「ああ、あいつ頑固な子嫌いだからねー」と、一言でバッサリやられました(泣)。
ほほう、その方達は私の姉のクラスメイトですね。わはは。
休暇を大分使ってしまったから、またせっせとためなくっちゃ。
うちは年末年始もカレンダー通りだし、先を思うと気が重いです。
(って、日本の事を思えば贅沢ですよね。)