職業の選び方 |
私が日本で大学を卒業した頃には、まだ「ニート」という言葉はありませんでした。
でも、卒業パーティーで「就職せずに実家に帰る」という同級生が結構いて、驚きました。
理由を訊くと、「企業の歯車にはなりたくない」などとのたまう。
そんな彼らの学費・生活費を払うために、企業の歯車になって汗水流して働いてくれた人がいる訳で、とても失礼な言い草だなと思った。
でも親は親で、「うちの大事な○○ちゃんが下っ端のお茶くみになるなんて・・・無理に就職しなくてもいい」と寛大なる理解を示す。
文系では特に、「職がない」「食べていけない」とはなから判っている道に進む事も多い。
もの凄く高い大学進学率で、でもその知識は社会に殆ど役立てられぬ。
卒業後に「やっぱり手に職をつけたい」と言って、専門学校に入りなおすパターンも周囲に多かった。
そうして手に職をつけても、やっぱりその道では働かなかったり。
ドイツでも近年は乱れてきているものの、日本と較べるとまだまだ考え方は厳しい。
大学でも専門学校でも、全くの私立でない限り、国民の税金で支えられている。
だから、無駄にあれこれ学ぶ事は許されない。
例えば一旦大学を出たら、別の職業訓練の類いは、余程の事がない限り受けられない。
或る職業を学んで、別の道に進み直したかったら、様々な審査がある。
そもそも例えばアレルギー体質だったら、美容師や実験化学者への道は最初から閉ざされている。
「学ぶ」事が目的なのではなく、「学んだ事を活かす」事が目的なのです。
だから、後に活かせない事は、学ばせてもらえない。
でもその分、職業訓練は無料で受けられたり、低額のお給料が貰えたりする事も多い。
リハビリセンターで働くと、職業病の類いをよく目にします。
体を使う仕事では、不自然に酷使する部分にガタがくる。それは当然の事。
肉体労働では、定年前に限界がくる。それも当然の事。
歳をとれば、体力も落ちるし、あちこちにがたが来る。だから体が資本の仕事はできなくなる。それも当然の事。
例えばICU勤務の看護婦というのはスペシャリストだから、体が壊れてきても「ただの」看護婦には戻れない。だから、ICU勤務の研修を始める前に、よく考えなければならない。
ウェイターがいつか肩を壊しても、それは自明の事。だからと言って、全てのウェイターを早期年金者にする訳にはいかない。
職業を選ぶというのは、そういう事なのです。
「きつい仕事で、あそこが痛い、ここが痛い。ストレスが大きい」と愚痴をこぼされても、「それは仕事を選んだ段階でわかっていた事でしょう?」となる。
私自身、2度目の人生を歩ませてもらった立場なので、余り大きな事は言えませんが、それでも2度目の道はきちんと考えました。
一生歩める道。定年まで働ける道。まず間違いなく食べていける道。
そして1度目の道を棒に振らず、「2度目であるからこそ」の意味がある道。
日本では、「お勤めはどちらですか?」と訊く。
ドイツでは、「お仕事は何ですか?」と訊く。「会社員です」という答えはない。
地に足をつけて、歩こう。
我が家の新入りの中国人です。
国から援助を受けて当たり前と言う感覚で、システムを悪用する人たちも沢山いますから。
2歳の子供がいるからと奨学金を受けながら、家族でモルディブのプライベートリゾート(一人3000ユーロ!!)に出かける学生とか、他の職業への転換(Umschulung)を拒否して、早期年金を受け取ることを要求する人とか・・・。
納税者である夫は、節約生活を余儀無くされているのに・・・と理不尽な思いをします。
そうですね~。ちょっと甘過ぎな部分もありますね。
でも、その甘さが好きだったりもします。本来はそこにつけ込んで悪用する人がいなかったからこそ成立した甘さな訳ですから。社会のためになる人材を社会が育てる、という考え。
日本でも国公立は国民の税金が沢山注ぎ込まれているのに、こちらは自覚がなさ過ぎだと思います。
目の覚めるおもいがしました。学ぶことが目的ではないよという言葉に。今現在看護学校に通っている私は毎日やめたくて、やめたくて、本当にしょんぼりとした毎日を過ごしています。
ただ、あと二年がんばれば我慢したことが仕事に生きるのだと言い聞かせ、教員のいびりと満員電車片道2時間に耐えようと!!!
母が統合失調症で入退院を繰り返し、病気で苦しむ人の支えになりたいという気持ちが看護を目指すことだということを、気持ちの弱い私は忘れていたのですね。
教員のいびりというのは本当に許し難い。
最初から全てできる人間なんておらず、だから学んでいる訳なのに。
私も「どうして皆いびらずに教えてくれないのだろう」と何度泣いた事か。
でも、あなたには、そんな素晴らしい動機があるんですから。
気持ちなんて、誰でも弱いもの。弱くていいんですよ。
頑張って下さいね!