
そこそこ経験のある医者なら、
遺体や血糊が本物かどうか、大体見分けがつくものだろう。
こんなにもネットに本物が溢れていた事は、未だ嘗てなかったと思う。
先日紹介した「チェルノブイリ」に、別の国の内戦のエピソードが出てくる。
生まれたばかりの子をはじめ、小さな子どもがいるのだと、
土下座して靴にキスして命乞いをする青年が、笑って撃ち殺される話し。
産院で、たった今生まれたばかりの赤ちゃんを窓から投げ捨てられる話し。
「ここの放射能の方が、人間よりもずっと平和でいい」と選ぶ位の、蛮行。
逃げるのも、抵抗して戦うのも、どちらを選ぶ気持ちもわかる。
そして、降参して相手に従うという選択肢は「ない」という気持ちも、
植民地や属国になった事のない者には想像もつかない重さがあるだろう。
「抵抗せずに降参すればいい」という人は、じゃあ、もし力関係が違い、
日本が中国や北朝鮮に蹂躙されて属国になれと迫られたとしたら、どうする。
他国の政治に従い、自由を捨て、甘い汁を吸わせて貧しくなる事を、選べる?
逃げるのだって、そんな簡単な話しではない。
全てを捨てて、言葉も知らない国に難民として流れて、どうやって生きていく?
難民はお客じゃない。自分の意思で移住するのとも全く違う。
大戦で故郷を追われた経験がある友人は、何十年も経って豊かな暮らしになっても、
まだ「非常用」と、毎日下着の中にお札を忍ばせていた。
医者だったのに難民になり、語学を習う暇もなく長年掃除夫をしていた友人もいる。
医者としては、命が一番大事。みんなみんな、逃げて欲しい。
でも、物事はそんなに単純ではないというのも、知るようになってしまった。
「No War」なんて言えるのは、侵略側に対してだけである。
それでも、戦争を容認する事には抵抗があり、
自分の中で葛藤が渦巻き、魂を揺さぶられるような苦しさがある。
核兵器一つで全てを終わらせるのは「なし」というのは、多くが即答するだろう。
じゃあ、自分が信じる「正義」のための戦いは?
愛する家族が惨たらしい殺され方をして、それに復讐するのは?
自分が殺されかけて、抵抗として殺すのは?
と考え出すと、何もかもが紙一重なのだと気付かされる。
歌詞は全く解らないけれど、恐らく愛国心を歌っているのだろう、この動画を観て、
それに鼓舞されて戦う若者達の事を思い、つくづく考え込んでしまった。
日に何度も再生して、聴いては考え、聴いては考え、を繰り返している。
動画のところが上手く表示されなければ、
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(これはスクリーンショット画像です。クリックしても飛べません。)
