2018年 05月 08日
どくとるマンボウ青春記の世界 |
以前にも書きましたが、信州大学の独文独語は、
旧制松本高校時代からの伝統を誇りにしていました。
私は卒業・就職後もドイツへの夢が諦められず、働きながら自習を続け、
お願いして週一コマだけ、ドイツ人の先生の授業に潜り込んでいました。
そこにはもう一人、聴講生がいた。
私と並べては失礼な、もの凄い方。
元、独文独語の先生で、
教官を退職された後、ご自身の勉強のために来られていた。
先生なのに学生と並んで授業を受ける謙虚さと、
その飽くことなき探求心・向上心には、頭が下がるばかりでした。
今思えば、既にご病気だったのか、
発音が不明瞭で、日本語同士なのにお話しが通じない事が多く、
でも何故か私は解り、私がいつも学生たちに「通訳」していた。
私ももう学生ではなかったので、
授業の後で、よくビールを飲みに連れて行って頂いた。
当時の私はビールが嫌いで、会社の飲み会でも決してビールを飲まなかったのに、
先生のご相伴だけは、好きだった。
ご病気が判明したというのが、最後の自筆のお手紙で、
その後は私も遠慮があって疎遠になり、でも凄く気になっていた。
「もう誰にも会われないと思うよ」と言われつつ、
自分でも「会いに来てもらって嬉しいのだろうか」と自問自答しつつ、
やっぱりどうしても、もう一度お会いしたくて、無理を申し上げ、
近しい方々のお力添えあって、再会が叶いました。
しかも、再会の舞台となったのは、歴史的なお宅。
今はない祖父母の家を彷彿とさせる。
地球儀があるのが、流石。
学生時代の北杜夫が酔って殴り、後日謝りに行ったら、
「なんでなぐられたのか、わかりませんでしたよ、えへへへ」
と面妖な声で笑ったというのは、先生のお父様。
その後、北杜夫をドイツ文学に傾倒させた御方。
実は、顔写真を拝見したのは初めて。
戦時に北杜夫たちが食料集めをしていたら、後から追いかけてきて、
ご自分の家の晩御飯を鍋ごとすっぺり与えた、というエピソードが忘れられない。
今迄、旧制松本高校時代からの伝統と聞かされてきた、
でも私にとっては幻のような、目に見えないものだったのが、
突然目の前に姿を現し、もの凄く感動しました。
でも、私がちらっとお邪魔しただけで圧倒されてしまった、
ここで、その「息子」として生きるのは、しんどくなかったのだろうか。
いつもにこにこマイペースだった先生は、
そういう事全てをひっくるめて、だったのだろうな、と勝手に想像。
個人宅の写真を出していいものかどうか随分迷いつつも、
このお宅ももうすぐ取り壊されてしまうそうで、余りにも惜しく、
記念館を訪れたようなこの感動を、ここにひっそり記録しておきます。
検索に引っ掛からないよう、お名前は書かずに画像で。
↑どくとるマンボウのシリーズの中で、青春記が一番好き。
旧制松本高校の校舎は今も「あがたの森公園」に保存されています。
ここにある記念館の資料は凄く面白い。
↓追記:Yozakura様へ
遠慮してコンパクトカメラでささっと撮っただけですので、
余り鮮明に写っておりませんが、如何でしょうか。
旧制松本高校時代からの伝統を誇りにしていました。
私は卒業・就職後もドイツへの夢が諦められず、働きながら自習を続け、
お願いして週一コマだけ、ドイツ人の先生の授業に潜り込んでいました。
そこにはもう一人、聴講生がいた。
私と並べては失礼な、もの凄い方。
元、独文独語の先生で、
教官を退職された後、ご自身の勉強のために来られていた。
先生なのに学生と並んで授業を受ける謙虚さと、
その飽くことなき探求心・向上心には、頭が下がるばかりでした。
今思えば、既にご病気だったのか、
発音が不明瞭で、日本語同士なのにお話しが通じない事が多く、
でも何故か私は解り、私がいつも学生たちに「通訳」していた。
私ももう学生ではなかったので、
授業の後で、よくビールを飲みに連れて行って頂いた。
当時の私はビールが嫌いで、会社の飲み会でも決してビールを飲まなかったのに、
先生のご相伴だけは、好きだった。
ご病気が判明したというのが、最後の自筆のお手紙で、
その後は私も遠慮があって疎遠になり、でも凄く気になっていた。
「もう誰にも会われないと思うよ」と言われつつ、
自分でも「会いに来てもらって嬉しいのだろうか」と自問自答しつつ、
やっぱりどうしても、もう一度お会いしたくて、無理を申し上げ、
近しい方々のお力添えあって、再会が叶いました。
しかも、再会の舞台となったのは、歴史的なお宅。
「なんでなぐられたのか、わかりませんでしたよ、えへへへ」
と面妖な声で笑ったというのは、先生のお父様。
その後、北杜夫をドイツ文学に傾倒させた御方。
実は、顔写真を拝見したのは初めて。
戦時に北杜夫たちが食料集めをしていたら、後から追いかけてきて、
ご自分の家の晩御飯を鍋ごとすっぺり与えた、というエピソードが忘れられない。
でも私にとっては幻のような、目に見えないものだったのが、
突然目の前に姿を現し、もの凄く感動しました。
でも、私がちらっとお邪魔しただけで圧倒されてしまった、
ここで、その「息子」として生きるのは、しんどくなかったのだろうか。
いつもにこにこマイペースだった先生は、
そういう事全てをひっくるめて、だったのだろうな、と勝手に想像。
個人宅の写真を出していいものかどうか随分迷いつつも、
このお宅ももうすぐ取り壊されてしまうそうで、余りにも惜しく、
記念館を訪れたようなこの感動を、ここにひっそり記録しておきます。
検索に引っ掛からないよう、お名前は書かずに画像で。
↑どくとるマンボウのシリーズの中で、青春記が一番好き。
旧制松本高校の校舎は今も「あがたの森公園」に保存されています。
ここにある記念館の資料は凄く面白い。
↓追記:Yozakura様へ
余り鮮明に写っておりませんが、如何でしょうか。
by germanmed
| 2018-05-08 07:56
| JAPAN 2018 子連れ日本
|
Comments(15)
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fusk-en25 at 2018-05-08 08:59
この写真のお宅。
2年前に処分した。私の実家を彷彿されるお家です。
すごく懐かしい。
我が家は昭和12年に建てられて。
2016年に更地になってしまいましたが。
何度か帰った時に写した友人と宴会をしている写真に家のイメージが残っています。
思い出は記憶の中に残すもの。。
なんでしょうけど。
こうして写真になるとまた感慨深いものです。
いい旅でしたね。
私はミュンヘンでビールを飲んで以来、好きでなかったビールも好きになりました。
一度。くまさんと飲みたいなあ。笑。
2年前に処分した。私の実家を彷彿されるお家です。
すごく懐かしい。
我が家は昭和12年に建てられて。
2016年に更地になってしまいましたが。
何度か帰った時に写した友人と宴会をしている写真に家のイメージが残っています。
思い出は記憶の中に残すもの。。
なんでしょうけど。
こうして写真になるとまた感慨深いものです。
いい旅でしたね。
私はミュンヘンでビールを飲んで以来、好きでなかったビールも好きになりました。
一度。くまさんと飲みたいなあ。笑。
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隣国のmamabear
at 2018-05-08 11:16
x
私はおそらく、くまさんよりも(少なくとも?)ひと回りは上の年代だと思うのですが、私が子供の頃の家というのは、どこでもだいたいこの御宅のようだったと記憶します。
玄関の右側にあるのは牛乳箱でしょうか。とても懐かしい。
生まれ育った土地から遠く離れて暮らすようになると、大切な縁のあった人達ともそうそう簡単には会えなくなってしまいます。面会が叶ってよかったですね。
くまさんの”先生”が、心静かに安らかな余生を過ごされるとよいですね。
玄関の右側にあるのは牛乳箱でしょうか。とても懐かしい。
生まれ育った土地から遠く離れて暮らすようになると、大切な縁のあった人達ともそうそう簡単には会えなくなってしまいます。面会が叶ってよかったですね。
くまさんの”先生”が、心静かに安らかな余生を過ごされるとよいですね。
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ピーチ
at 2018-05-08 18:11
x
今回の一時帰国は、くまさんにとっても青春の地巡りのようで、とても
意義深い旅ですね。時が流れると大切な人との再会も少しためらってしまうこともありますが、訪問できてよかったですね^^。
居間の写真を見ると、なんとなく文豪の居間のように見えます。
こういうお部屋大好きですよ。個人的には資金がたっぷりなら明治の文豪が出てくるような和風建築のお家を作りたいななどと思います^^
意義深い旅ですね。時が流れると大切な人との再会も少しためらってしまうこともありますが、訪問できてよかったですね^^。
居間の写真を見ると、なんとなく文豪の居間のように見えます。
こういうお部屋大好きですよ。個人的には資金がたっぷりなら明治の文豪が出てくるような和風建築のお家を作りたいななどと思います^^
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germanmed at 2018-05-09 06:16
> fusk-en25さん、こんにちは。
うふふ、いつか飲みましょう♪
その時までに、Neuraltherapieをマスターしておきます。
うふふ、いつか飲みましょう♪
その時までに、Neuraltherapieをマスターしておきます。
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germanmed at 2018-05-09 06:19
> 隣国のmamabearさん、こんにちは。
はい、牛乳箱だと思います。
昔はどこの家にもありましたよね。
はい、牛乳箱だと思います。
昔はどこの家にもありましたよね。
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germanmed at 2018-05-09 06:22
> ピーチさん、こんにちは。
はい、文豪ではありませんが、偉大な文学者であったお父様の居間です。
翻訳書が沢山、今もそのまま文庫に入っています。
はい、文豪ではありませんが、偉大な文学者であったお父様の居間です。
翻訳書が沢山、今もそのまま文庫に入っています。
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papricagigi at 2018-05-11 04:03
日本滞在記、楽しいです♪ 信州、松本で大学生活を送られたのですね! なんて素敵なところでしょう。
くまさんって、昔からとってもとっても勤勉で人情味が溢れていてまっすぐなひとなんだなぁって、こういうふとした回想記(?)を詠ませていただくたびに感じます。そしておじいちゃん・おばあちゃん「キラー」だったのですよね(笑)。
ひとつひとつの出会いをとても大切にされるのも、くまさんですね♪ 味のあるこのお宅で先生に再会することができて、本当に良かった! どくとるマンボウ、読みたくなってきました!
くまさんって、昔からとってもとっても勤勉で人情味が溢れていてまっすぐなひとなんだなぁって、こういうふとした回想記(?)を詠ませていただくたびに感じます。そしておじいちゃん・おばあちゃん「キラー」だったのですよね(笑)。
ひとつひとつの出会いをとても大切にされるのも、くまさんですね♪ 味のあるこのお宅で先生に再会することができて、本当に良かった! どくとるマンボウ、読みたくなってきました!
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germanmed at 2018-05-11 04:18
> papricaさん、こんにちは。
いえいえ、まっすぐなんて、とんでもないー。
小学校の時、家庭訪問に来て開口一番、「くまさんは、ひねくれてますねえ」と言い放った先生もいましたから!もうね、最低最悪の義務教育時代でした。その中で一人だけ、素晴らしい先生がいたのですが、私が小3の時に定年退職されたので、流石にもうご存命ではないだろうなあ・・・というのが心残りです。
どくとるマンボウ青春記、ちょっと昔趣味の人なら凄く楽しめると思います♪
いえいえ、まっすぐなんて、とんでもないー。
小学校の時、家庭訪問に来て開口一番、「くまさんは、ひねくれてますねえ」と言い放った先生もいましたから!もうね、最低最悪の義務教育時代でした。その中で一人だけ、素晴らしい先生がいたのですが、私が小3の時に定年退職されたので、流石にもうご存命ではないだろうなあ・・・というのが心残りです。
どくとるマンボウ青春記、ちょっと昔趣味の人なら凄く楽しめると思います♪
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Yozakura
at 2018-05-16 14:26
x
母熊さま
この日のブログ、3枚目に掲載された写真を、被写体の人物とは何ら面識が無いにも拘わらず、懐かしく拝見しました。撮影に編集、お疲れ様です。
この、美味しそうに煙草を喫んで居る信州大学文学部の元教授とは、無論、初対面なのですが、私が50年前に通学していた、地方の某・大学の付属高校では、
こうした「世俗の流行や景気動向には、殆ど何の関心も払わず、学問の世界、教養の世界にドップリと浸かり、人生を謳歌していらした超俗的なインテリゲンチャ」が、未だ幾名かは御健在でした。北杜夫の青春小説の題材にされていた様な人物でも、学園の其処彼処に悠々と棲息することが出来た、そんな古き佳き時代でした。
先達の投稿にも在ります通り、撮影されました昔ながらの木造建ての住宅と、その内装が、人生を「ジカに愉しんでいられた時代の住まい」を、具に伝えています。
そんな50年も以前の高校の雰囲気が、ドクトル・クマ氏の写真数枚に依り、眠っていた記憶の底から蘇り、突然、眼前で踊り出したのです。物凄い起爆力です。
ただ、母熊氏も、雰囲気の伝達と拡散を優先された所為か、床の間の右上、鴨居に掲示された額の文字が、聊か読み難いのが珠に瑕です。当時の雰囲気が惻惻と伝わってくるだけに、その点が心残りです。
帰省の旅は、命の洗濯になった模様で、何よりでした。お元気で。
この日のブログ、3枚目に掲載された写真を、被写体の人物とは何ら面識が無いにも拘わらず、懐かしく拝見しました。撮影に編集、お疲れ様です。
この、美味しそうに煙草を喫んで居る信州大学文学部の元教授とは、無論、初対面なのですが、私が50年前に通学していた、地方の某・大学の付属高校では、
こうした「世俗の流行や景気動向には、殆ど何の関心も払わず、学問の世界、教養の世界にドップリと浸かり、人生を謳歌していらした超俗的なインテリゲンチャ」が、未だ幾名かは御健在でした。北杜夫の青春小説の題材にされていた様な人物でも、学園の其処彼処に悠々と棲息することが出来た、そんな古き佳き時代でした。
先達の投稿にも在ります通り、撮影されました昔ながらの木造建ての住宅と、その内装が、人生を「ジカに愉しんでいられた時代の住まい」を、具に伝えています。
そんな50年も以前の高校の雰囲気が、ドクトル・クマ氏の写真数枚に依り、眠っていた記憶の底から蘇り、突然、眼前で踊り出したのです。物凄い起爆力です。
ただ、母熊氏も、雰囲気の伝達と拡散を優先された所為か、床の間の右上、鴨居に掲示された額の文字が、聊か読み難いのが珠に瑕です。当時の雰囲気が惻惻と伝わってくるだけに、その点が心残りです。
帰省の旅は、命の洗濯になった模様で、何よりでした。お元気で。
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germanmed at 2018-05-17 03:59
> Yozakuraさん、こんにちは。
写真を追加してみたのですが、これが精一杯です。
まさか旧宅の方に通して頂けるとは思っておらず、
ご病気の先生を訪ねるのに一眼レフは遠慮され、
コンパクトカメラしか持って行かなかったものですから、すみません。
もしこれで読めましたら、何と書いてあるのか是非教えて下さいませ。
写真を追加してみたのですが、これが精一杯です。
まさか旧宅の方に通して頂けるとは思っておらず、
ご病気の先生を訪ねるのに一眼レフは遠慮され、
コンパクトカメラしか持って行かなかったものですから、すみません。
もしこれで読めましたら、何と書いてあるのか是非教えて下さいませ。
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by
Yozakura
at 2018-05-18 12:42
x
ドクトル・クマ様
早速の返信、有難う御座います。お忙しい中にも拘らず、デジタル画像の拡大に引き伸ばし、真にお世話様でした。m(_ _)m
拡大された掲額の写真をじっくりと拝見しました。暫し各種辞典を渉猟参照し、以下のように解読してみました。昔のインテリが書いた自由闊達な毛筆の文字は、日常生活で滅多に筆を執らない人間には、殆ど異次元の世界に旅行する感覚です。
額の文字を右から順番に読み、原文のレイアウトに倣って活字化した文字を並べました。これで如何でしょうか?
[秀練
為
望月君
挙歩人士]
私の閲覧ソフトが安物なので、貴女のブログに記入・返信しても「旧字体の漢字」が正確に表記できません。原額の揮毫者は、「練」も「為」も、全て旧字の草書体で書いております。ただ「挙」だけは、かなり簡略化されています。
尤も、この揮毫者は興の赴くが儘に一気呵成に書き上げた模様で、旧字とか、簡略化とか、そんなことは念頭には無かった風情です。お元気で。
早速の返信、有難う御座います。お忙しい中にも拘らず、デジタル画像の拡大に引き伸ばし、真にお世話様でした。m(_ _)m
拡大された掲額の写真をじっくりと拝見しました。暫し各種辞典を渉猟参照し、以下のように解読してみました。昔のインテリが書いた自由闊達な毛筆の文字は、日常生活で滅多に筆を執らない人間には、殆ど異次元の世界に旅行する感覚です。
額の文字を右から順番に読み、原文のレイアウトに倣って活字化した文字を並べました。これで如何でしょうか?
[秀練
為
望月君
挙歩人士]
私の閲覧ソフトが安物なので、貴女のブログに記入・返信しても「旧字体の漢字」が正確に表記できません。原額の揮毫者は、「練」も「為」も、全て旧字の草書体で書いております。ただ「挙」だけは、かなり簡略化されています。
尤も、この揮毫者は興の赴くが儘に一気呵成に書き上げた模様で、旧字とか、簡略化とか、そんなことは念頭には無かった風情です。お元気で。
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by
Yozakura
at 2018-05-18 19:03
x
母熊さま
前回の投稿の続きです。「安物の閲覧ソフトの所為で、正確に表記出来ていない《練》」ですが、もう1回、試行してみます。
--------
矢張り、このソフトでは無理でした。糸偏の右が「東」としか表記出来ないですね。諦めてください。
替わりに、解読作業のオマケです。望まれてもいない、大きなお世話で失礼します。
退官記念品と思しき壁時計または柱時計の文字列の2行目です。貴女が秘匿しておきたい人名の左隣に書き込まれた文字です。多分、「信州大学文理学部独文科一同」でしょう。
お元気で。
前回の投稿の続きです。「安物の閲覧ソフトの所為で、正確に表記出来ていない《練》」ですが、もう1回、試行してみます。
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矢張り、このソフトでは無理でした。糸偏の右が「東」としか表記出来ないですね。諦めてください。
替わりに、解読作業のオマケです。望まれてもいない、大きなお世話で失礼します。
退官記念品と思しき壁時計または柱時計の文字列の2行目です。貴女が秘匿しておきたい人名の左隣に書き込まれた文字です。多分、「信州大学文理学部独文科一同」でしょう。
お元気で。
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by
germanmed at 2018-05-18 22:39
> Yozakuraさん、こんにちは。
成程ー!
こういう額は私にとっては元々「読めないもの」という認識なので、絵画の様な存在なのですが、解読して頂いたお陰で、ぱっと目の前が拓けた気分です。
確かに私の祖父母の家にも、どこぞの誰かが書いてくれた同じ様な大きさの額が飾ってあって、昔は何かというと、そうやって書を進呈するものだったのでしょうかね。
時計の方は実物で読めていたのですが・・・しかし、この不明瞭な写真からよく解読なさいましたね!驚きました。
どうも有難う御座居ました。
成程ー!
こういう額は私にとっては元々「読めないもの」という認識なので、絵画の様な存在なのですが、解読して頂いたお陰で、ぱっと目の前が拓けた気分です。
確かに私の祖父母の家にも、どこぞの誰かが書いてくれた同じ様な大きさの額が飾ってあって、昔は何かというと、そうやって書を進呈するものだったのでしょうかね。
時計の方は実物で読めていたのですが・・・しかし、この不明瞭な写真からよく解読なさいましたね!驚きました。
どうも有難う御座居ました。
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by
Yozakura
at 2018-05-21 10:39
x
ドクトル・クマさま
今回の投稿は長い話で、且つ、その筋立てや構成も入り組んでいるので、この日の記述内容を整理させて下さい。
この「どくとるマンボウ青春記の世界」に登場する「信州大学独文科の教授」は都合、二人居る訳ですよね?
先ず、著名な翻訳者であり、退官記念の柱時計を贈呈された「先代の名物教授」と、
知名度では聊か劣るものの、退官後も聴講生となり、母熊氏と机を並べてドイツ人の講義を熱心に聴講していた「二代目教授」の2名。母熊氏が私淑していたのは、無論「後者の二代目」の方でした。
その後、二代目とは疎遠になって居たのですが、帰省の序に病気療養中の自宅をお見舞いしたところ、思いがけずも、取り壊し予定の先代教授の寓居にまで案内される僥倖に恵まれ、
戦前の学者が暮していた室内の様子を思わずバシバシと撮影するに至り、その余慶に読者である私までも預かった----と云う展開ですね。
本来ならば、もう時間切れで間に合わなかった筈の、戦前のインテリゲンチャの日常生活の再現が、可視化が、母熊氏の奮闘により、第三者のブログ読者の眼前に実現した次第。どうもお疲れ様でした。
お元気で。
今回の投稿は長い話で、且つ、その筋立てや構成も入り組んでいるので、この日の記述内容を整理させて下さい。
この「どくとるマンボウ青春記の世界」に登場する「信州大学独文科の教授」は都合、二人居る訳ですよね?
先ず、著名な翻訳者であり、退官記念の柱時計を贈呈された「先代の名物教授」と、
知名度では聊か劣るものの、退官後も聴講生となり、母熊氏と机を並べてドイツ人の講義を熱心に聴講していた「二代目教授」の2名。母熊氏が私淑していたのは、無論「後者の二代目」の方でした。
その後、二代目とは疎遠になって居たのですが、帰省の序に病気療養中の自宅をお見舞いしたところ、思いがけずも、取り壊し予定の先代教授の寓居にまで案内される僥倖に恵まれ、
戦前の学者が暮していた室内の様子を思わずバシバシと撮影するに至り、その余慶に読者である私までも預かった----と云う展開ですね。
本来ならば、もう時間切れで間に合わなかった筈の、戦前のインテリゲンチャの日常生活の再現が、可視化が、母熊氏の奮闘により、第三者のブログ読者の眼前に実現した次第。どうもお疲れ様でした。
お元気で。
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by
germanmed at 2018-05-22 06:06
> Yozakuraさん、こんにちは。
はい、正しくその通りです。
先代の方は私は全く面識がなくて伝説の方で、でもその先代に育てられた方達が私の教授陣だったので、長い糸の先で繋がっているような感じでした。それが今回、全く思いがけず、糸の先の御姿を垣間見させて頂きました。
私にとっては出さずにおられぬ深い感動でも、関係のない方達には果たして面白いものだろうかと懸念していたのですが、Yozakuraさんにこの感動を分かち合って頂けたような気持ちで、とても嬉しいです。
はい、正しくその通りです。
先代の方は私は全く面識がなくて伝説の方で、でもその先代に育てられた方達が私の教授陣だったので、長い糸の先で繋がっているような感じでした。それが今回、全く思いがけず、糸の先の御姿を垣間見させて頂きました。
私にとっては出さずにおられぬ深い感動でも、関係のない方達には果たして面白いものだろうかと懸念していたのですが、Yozakuraさんにこの感動を分かち合って頂けたような気持ちで、とても嬉しいです。