2016年 05月 01日
ここはどこでしょう? |
バタバタしていたのは、こんなところに行く用事があったからでした。
旧ソ連製の地下鉄。恐ろしい勢いで扉が閉まります。
かわいい!ここの人は手先が器用なんだなー。
こういう下を歩くのは結構怖い。
かと思えば、こんな豪華絢爛さも。
歪みや傾きが出てきていて、歩くのがかなり怖い回廊。
鉄柵には絶対にもたれたくない感じ。しかもガス臭。
甘いパンを木の芯に巻きつけて焼いて、シナモンシュガーなどをかける。おいしいよ!
奥に立ててあるのが、芯と、つやつや焼き上がって冷ましてあるパン。
きんきら、きんきら♪
はい、答えはハンガリーのブダペストでした。
欧州日本人医師会青年部の集まりで行って来ました。
(「青年部?」という突っ込みはなしね。)
豪華絢爛な4枚目はニューヨーク・カフェ、
最後の写真はリスト音楽院の中です。
■欧州日本人医師会の電話健康相談(無料)■
(月・水・木)21時~22時/(火)22時~23時 (ドイツ時間)
+49 9951-9493-399
↓詳細はこちら。
http://www.eu-jp-doctors.org/page2/
by germanmed
| 2016-05-01 06:40
| 東欧
|
Comments(9)
たぶん、旧東ドイツ地域では?
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m
at 2016-05-01 08:00
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ロシアかな?それとも東欧か?
その芯に巻き付けて焼くお菓子、プラハでも食べました!
凄く美味しいですよね。
お仕事で?休暇の旅行かな?
その芯に巻き付けて焼くお菓子、プラハでも食べました!
凄く美味しいですよね。
お仕事で?休暇の旅行かな?
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H.W
at 2016-05-01 08:25
x
ハンガリー!
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かなぶん
at 2016-05-01 23:12
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わたしも、ハンガリーに1票~!
あのパンが決めて。
あのパンが決めて。
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germanmed at 2016-05-03 06:44
★皆様、有難うございます!
答えを追記しておきましたー。
このパン菓子、プラハにもあるのですね!
昔行った時には見掛けた覚えはないのですが、流行っているのかしら。
答えを追記しておきましたー。
このパン菓子、プラハにもあるのですね!
昔行った時には見掛けた覚えはないのですが、流行っているのかしら。
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猫の海
at 2016-05-14 17:36
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いいですねー
さすがー
さすがー
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germanmed at 2016-05-15 07:50
★猫の海さん、こんにちは。
本当に、ブダペストの文化には圧倒されました。ドイツなんてずっと力のない小国の寄せ集めだったので。
本当に、ブダペストの文化には圧倒されました。ドイツなんてずっと力のない小国の寄せ集めだったので。
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Yozakura
at 2016-05-15 23:32
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母熊さま
この日のクイズは、出題も答合わせも疾うに終了しており、今更ながらの亀レスにて失礼します。
上の5枚目の写真にて撮影されています「回廊が歪み、そして傾いた共同アパートのボロさ加減」ですが、これを過不足なく描いた面白い随筆を見つけましたので、勝手に紹介します。
(以下、引用を開始)
----破局から破局を経て、エンリコはミラノの下町に住むことになるが、それは各階に「踊り場(パラトイオ)」のある建物だった、と云うくだりがある。
これは、恐らくは現在も残っていると思うが、ミラノの下層階級の人たちが嘗て住んだ共同住宅で、一階ごとに、中庭をぐるりと囲むバルコニー(踊り場)があって、それぞれの家のドアがそれに向かって開いている。そのバルコニーの外側には、貧素な手摺が付いていて、それがまた、この建築の安っぽさを物語っている。
廊下が外にある、と言ってしまえばそれまでで、何と云うことは無いのだが、ミラノ人にとっては「踊り場のある家」と聞いただけで、その手摺に身体を乗り出すようにして、外を見ている娘たちや、一面に干した洗濯物や、そして、中庭に向かって階上から喚く声などが、錯綜して記憶に戻ってくる、
そんな家のことを人々はよく「絵のような」などと表現するが、誰も自分は住みたくないと思っている。エンリコが住んだのは、そんな家だった。----
(以上にて引用を終了)
【ミラノ 霧の風景、須賀敦子、白水社、1990年】より抜粋。猶、私が読み易く且つ入力し易いように、一部の平仮名を漢字に直しております。
その随筆では、イタリア北部の大都市の下町風景が描写されて居ますが、その記述内容と母熊氏撮影の「ハンガリーの歪んだアパートの写真」が、寸分違うことなく、ピタリと符合するのです!
昔のオーストリア=ハンガリー帝国の時代には、イタリア北部とハンガリーは隣国同士であり、今よりも経済的な交流は深かったことでしょう。生活様式や居住環境にも案外に似通った部分があったののやも知れません。
例えば、母熊氏の解説に曰く「鉄柵には絶対に凭れたくない感じ。しかもガス臭。」と云う件は、
須賀敦子の随筆の末尾に登場する決め台詞「誰も自分は住みたくないと思っている」と、見事なまでに整合し共鳴して居ります。
須賀の随筆を可視化する写真の撮影に掲示、お疲れ様でした。お元気で。
この日のクイズは、出題も答合わせも疾うに終了しており、今更ながらの亀レスにて失礼します。
上の5枚目の写真にて撮影されています「回廊が歪み、そして傾いた共同アパートのボロさ加減」ですが、これを過不足なく描いた面白い随筆を見つけましたので、勝手に紹介します。
(以下、引用を開始)
----破局から破局を経て、エンリコはミラノの下町に住むことになるが、それは各階に「踊り場(パラトイオ)」のある建物だった、と云うくだりがある。
これは、恐らくは現在も残っていると思うが、ミラノの下層階級の人たちが嘗て住んだ共同住宅で、一階ごとに、中庭をぐるりと囲むバルコニー(踊り場)があって、それぞれの家のドアがそれに向かって開いている。そのバルコニーの外側には、貧素な手摺が付いていて、それがまた、この建築の安っぽさを物語っている。
廊下が外にある、と言ってしまえばそれまでで、何と云うことは無いのだが、ミラノ人にとっては「踊り場のある家」と聞いただけで、その手摺に身体を乗り出すようにして、外を見ている娘たちや、一面に干した洗濯物や、そして、中庭に向かって階上から喚く声などが、錯綜して記憶に戻ってくる、
そんな家のことを人々はよく「絵のような」などと表現するが、誰も自分は住みたくないと思っている。エンリコが住んだのは、そんな家だった。----
(以上にて引用を終了)
【ミラノ 霧の風景、須賀敦子、白水社、1990年】より抜粋。猶、私が読み易く且つ入力し易いように、一部の平仮名を漢字に直しております。
その随筆では、イタリア北部の大都市の下町風景が描写されて居ますが、その記述内容と母熊氏撮影の「ハンガリーの歪んだアパートの写真」が、寸分違うことなく、ピタリと符合するのです!
昔のオーストリア=ハンガリー帝国の時代には、イタリア北部とハンガリーは隣国同士であり、今よりも経済的な交流は深かったことでしょう。生活様式や居住環境にも案外に似通った部分があったののやも知れません。
例えば、母熊氏の解説に曰く「鉄柵には絶対に凭れたくない感じ。しかもガス臭。」と云う件は、
須賀敦子の随筆の末尾に登場する決め台詞「誰も自分は住みたくないと思っている」と、見事なまでに整合し共鳴して居ります。
須賀の随筆を可視化する写真の撮影に掲示、お疲れ様でした。お元気で。
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germanmed at 2016-05-16 05:31
★Yozakuraさん、こんにちは。
おお、須賀敦子さん。なるほどー。
このアパートは結構凝った造りで、立地もよく、元は高級アパートだったんじゃないかと思うのですが、何せ老朽化対策がされていなくて。回廊の床全体が手すり側に向かって微妙に傾斜していました・・・。
おお、須賀敦子さん。なるほどー。
このアパートは結構凝った造りで、立地もよく、元は高級アパートだったんじゃないかと思うのですが、何せ老朽化対策がされていなくて。回廊の床全体が手すり側に向かって微妙に傾斜していました・・・。