私達の感謝のしるし |

今迄に書いたような事情があり、
こぐまが無事に生まれてきた事は、本当に奇跡のように感じました。
その事に、心から感謝。
自分自身の覚悟はできていましたが、
出産時にお母さんが亡くなり遺される赤ちゃんというのは淋しいもので、
お父さんをはじめ大人達は葬儀に掛かり切りで、
普通なら皆の笑顔に囲まれて過ごす「生まれたて」の時期を、
新生児病棟で、面会者も碌になく、ひっそりと過ごす事が多い。
自らの命は惜しくなくとも、こぐまにそういう人生のスタートを切らせるのは矢張りつらく、
そうならなかった事に、心から感謝。
こぐまには懸念のある部分もあり、先日も大学病院の小児科で検査を受けたのですが、
その時に重病の子ども達も見掛け、改めて心が痛みました。
そして、こぐまが入退院を繰り返すような重病でなかった事に、心から感謝。
それらの感謝の気持ちのしるしとして、
ささやかですが、私達は二つの事をしました。
まず一つは、臍帯血バンクへの臍帯血の献血。
近年では、「その子自身のために」と、臍帯血を凍結保管させておく事もできます。
でも、本人が実際にその臍帯血を必要とするようになる可能性というのは、実に低い。
つまり、個人保管の臍帯血の殆どが、眠っていて使われないという事になってしまうのです。
そして、それを本当に必要として移殖待ちをしている患者さんは、誰からも助けてもらえなくなってしまう。
幾ら骨髄バンクがあると言っても、臍帯血の方が採取がずっと楽でリスクも少ないため、そちらを充実させる方がよい。
また、ドイツでは、まずまずの金額で個人保管ができるようですが、それでも金銭的にそれだけの余裕がなければできないため、「金持ちだけが自分の身を守る事ができる」という図式になってしまう。
私達は、そういう図式には、非常に嫌悪感を覚えます。
勿論、将来こぐまが本当に病気になって、それを必要とする時がくるかも知れない。
そう考えると、子どものためになら何でもしてあげたいと思う親心を、ひどく揺さぶられる決断です。
でも、その時には、他の心ある人が同じように考えて献血してくれ、善意の輪がつながっている事を願い。
(「もう個人保管しちゃったよ」という人を責めているのでは決してありません。専門知識のない「素人」が個人保管の宣伝を読んで「我が子の命を守るためなら」と無理してでもお金を捻出して決めるのは、親心であって、決して責められない。罪は全て、そんな親心を利用した商売を始めた、医療関係者の側にあります。
ただ、これから出産するという人には、是非勇気を出して献血して欲しいと思います。)
■DKMS Nabelschnurblutbank gemeinnuetzige GmbH
こちらに献血しました。
大きな病院なら大体どこでも、入院時にその旨伝えると、やってくれます。
自分では詳しい問診表に記入するだけで、あとは全てお任せです。
もう一つは、Patenschaftです。
この語の和訳は「名親」ですが、フォスター・ペアレントのようなものと言った方が、ぴんとくるでしょうか。
ただ、私達が始めたのはcbmのもので、
身体障害児の手術やその後のリハビリなどを支援するという内容です。
この団体には今迄も時々寄付していたので、ニュースレターが届くのですが、
それを読んで、この支援を決めました。
■Christoffel-Blindenmission/Patenschaft
発展途上国では、働けない障害児はただのお荷物であり、
また、障害を罰や恥と考える風潮も強い。
本当の重病なら兎も角、簡単な手術によって普通に生活できる障害もあり、
「手術さえしたら、目が見えたり歩けるようになる」
「義足や車椅子さえあれば自力で移動できるようになる」
というものすら、どうしようもなく放置されているうえ、
障害児自体、それを恥じて家の中に隠されていたりします。
cbmのPatenschaftでは、そういう障害児を探し歩くところから始める医療援助をしています。
このPatenschaftでは、
一対一の関係で援助するのではなく、お金はプールされて必要に応じて分配されます。
その中で「代表」の子の例の報告を逐次受けますが、実際に自分のお金がその子のために使われる訳ではなく、他の誰かの手術やリハビリなどに使われるのです。
それは学費や生活費と違い、手術時には一度に大金が必要であるし、義足など個々の需要によって金額がまちまちである事、また医療費は一対一で月々払うには大きな額である事などが理由だろうと私は推察しています。
写真や手紙を貰って「私がこの子を助けたんだ」と思う満足感はありませんが、
はっきりと用途が定まっているお金なので、
「この子の学費のつもりで援助したお金が、その家族の生活費に転用された」
などという事は起こり得ないだろうと思います。
こぐまが生まれて物入りになりますし、私も暫く休職するので、
月々必ず支払うというのは、ちょっとした決心が必要でした。
でも、一家三人が食べていける経済状態を維持できる限りは、
そこから月20ユーロを捻出できない訳はない筈だ、と、夫と話し合って決めました。
(勿論、寄付ですので随時やめる事もできますが、
私達は持続を前提として考えています。)
既に何度も例に出していますが、我が家にはテレビやラジオすらありません。
実は、こぐまのために私立追加保険を薦められていたのですが、
受信料やそんな保険金を払う位なら、他の子ども達を助ける方が、ずっといい。
例えば、歩けないような奇形の足で生まれてきた場合、
手術、移動費、食費、理学療法など全て含めて、約530ユーロ掛かるそうです。
白内障の手術は平均、大人なら30ユーロ、子どもなら全身麻酔で125ユーロ。
それが、一人の人生を救う値段なのです。

もう刈り入れ。ドイツの夏は駆け足で過ぎます。

と考えさせられた&心に響き、反省する部分ありました。
子育てするようになって、子供のために、子供達のために
何か出来ることはあるか…キーワードです。
小児病棟って辛いですよね。私も子供の時に小児病棟に2年ほど入院していたことがあるので、子供の気持ちはわかっていたのですが、自分が親になってますます見てて辛いです。 自分の経験もあって、キンダーホスピスへの募金やボランティアをしていたのですが、親になって本当に病気(とくに子供の)への見解が変わりつつあります。
先日の児玉龍彦教授の「子どもを守るために全力を」という言葉、胸にずっしりきました。日本は日本で、守らなくちゃいけない子ども達がいるんですよね。
病気と言っても臍帯血を必要とするものは本当に稀ですから、全くその通りだと思います。
個人保管の話しを初めて聞いた時には「また、くだらん商売を」と憤慨したのですが、宣伝は如何にも親心に訴えるように書かれていて、私ですら実際に献血を決める時には心がぐらつきそうになってしまう位でしたので、今回記事にしてみました。
私の彼女も切った髪の毛はがん患者の方々にに上げたい、骨髄バンクにも登録したいってよく言っています。助けたい、人の役に経ちたいって言う気持ちが強いんですね、もっと世の中がそういったことに関心を強めれば、助かる命、生きる喜びがもっと増えてくうるような気がします。助け合いって大事だと思います。
そうですね。こういう助け合いって、無理してやらなくても、それぞれが自分に出来る範囲でやればいいのだと思います。
自分が凍えてまで上着を脱いで他人に与えるのではなく、上着が2着あるのだったら1着を誰かにあげる、自分が着ない上着なら抱え込まずに誰かにあげる、という位で充分ではないかな、と思います。

本当にそうですね。
ほんのささやかな事ですが、少しでも・・・と思います。
自分で問い合わせたら「え、やりたいんですか」っていう反応。身内の医療関係者に聞いたら、臍帯血はうまくいかないケースが結構あるから、特に勧めないって言ってましたが、でもうまくいくケースがあるんならやるべきじゃなかろうか、と思います。だって出てくるもんなんだし。搬送とか問題は多いんだろうけど。日本よりドイツのほうが成功率たかいのかな?
おいらの産院ではあんまり希望者がいないみたいで、反対に驚きでした。おいらは、出産するなら絶対やりたいと前から思ってたのに。
で、結局のところ。
「臍帯にほとんど血液が残っていなくて、できませんでした」と。「たまにあることなんですよ、大丈夫」って言われて、その時はなんとも思わなかったけど、大丈夫って言われるってことは、なんかの異常だったのかしらん。
次に出産することがあれば、ぜひ成就させたいものです。ところで、胎盤ってすごく綺麗ですね。こんなに美しいものがあるんだろうかと思いました。
臍帯血は時間と共に胎児に流れ込んで行きます。だから、胎児の状態や持病によって、早く止めたり、最後までしごいて入れたり、色々なのですが、基本的に「ここで止める」という時点があります。私の出産時にはそれよりも早く止めていましたので、訊きませんでしたが、恐らく一定量の臍帯血を確保するためではないかな(それをしないと臍帯血の分量が足りなくなる事がよくあるのかな)、と思いました。お陰でこぐまはちょっと貧血気味だったのですが、でも元気さを損なう程ではなかったので、私はそれでいいと思いました。
日本では1、2年前に臍帯血バンクの大赤字がニュースになっていましたが、何とか頑張って欲しいなあと思います。