道(5)私達夫婦の進む道 |
患者につらい知らせを伝えるには、医者の側に患者の心をしっかりと受け止める覚悟が必要です。
流産した患者に、「また妊娠しますから」と言う医者。
若くして癌の厄介な転移が見つかった患者に、「この転移なら少なくとも苦しまずに死ねますから」と言う医者。
そんな言葉の掛け方があるものか。
本人は慰めているつもりのようだけれど、余りの外し様にがっくりくる。
「そうは言っても、当事者でなければその気持ちは結局わからない」というのは当然の事。
そんな事を言い出したら、全ての病気を体験するのに医者は体が幾つあっても足りない。
でも私は、医者に必要なのは、
「患者本人の気持ちをわかる事」でも「患者の言いなりになる事」でもなく、
「患者本人の気持ちに寄り添い、導く(ガイドする)事」ではないかと思います。
それがないと、見当外れの事を言って患者を更に傷付けたり、「この医者にとっては、私の事など結局どうでもいいんだ」「医者に見放された」という思いを抱かせたりしてしまう。
医学に100%という事はまずないから、飽くまでも一縷の希望は残し、でも目を閉じずに現実を少しずつ受け入れる手伝いをする。或いは病と共に生きて行く覚悟をさせる。それは並大抵の事ではない。
医者に、その重圧から逃げたい思いがあると、
「でも、まだ治療法もあります」「他にも方法があります」と、話題を「治療」に移す。
そうして患者は現実逃避の泥沼にはまっていく。
それが本当の治療ならよいけれど、「何かをしてもらっている」という単なる気休めに過ぎない場合も多い。
実際に手の施しようのない不治の病の末期でも、
「この病院なら治療してくれる」と、津々浦々から患者が集まる。勿論自費。
「治療してくれる」けれど、それが実際に意味のある治療かどうかなんて、素人に判断できるものではない。
もっともらしい奇跡の体験談を読んで、それに縋り付く。
命がかかっているから、家族ぐるみで借金してでも、そこに望みをかける。
そういうひどい医療商売も、そこら中にある。
お金だけではなく、貴重な時間も体力も無駄に費やされ、加えて副作用があったりもするのに。
「治療の可能性がある」と言われれば、それがどんな性質のものであっても、
矢張りそこにしがみついてしまうのが、人間の普通の心。
ゼロではないかも知れない可能性を自ら「断る」のには、並々ならぬ強さが必要になる。
その線引きを、患者に丸投げするのは、どうかと思う。
人の心の隙間に入り込み、心の闇を増大させる医療がある。
金や政治が絡み、そういう医療の存在が罷り通っている現状。
以前書いたように、私は人生を山登りのようなものだと考えているのだけれど、
それで言うなら、医者は道案内人であるべきだと思っている。
誰もが自分で歩かなければならないし、最終的には自分で進む道を決めるべきだけれど、
歩きやすい靴や、その人に合った道を考えて、理由も説明して薦めるのが、医者の務め。
たとえ道がそこにあっても、その先が日の差さぬ沼地で迷い込んだら到底出られぬと知るなら、「その先に一輪だけ美しい花が咲いているかも知れませんよ」と言うのは、人間としてどうなのだろう。
ましてや、その沼地に誘い込み、身ぐるみ剥ぐような真似をして、その後は野垂れ死にしようが知った事ではないとは。
患者個人にはもとより、医者個人にも、難しい線引き。
誰にも老いや死は避けられず、人生には決して叶わぬ事もあり、人間の能力には限界がある。
どう生きて、どう死ぬか。
医療は人間を幸せにするためにあるべきなのに、何かを踏みつけにしているような医療も少なくない。
医学倫理とは、そういう問題を見つめなおす分野です。
「そんな事を言っても、理想と現実は違うんだ」と怒り出す人もいるけれど、
だからと言って理想を捨ててしまったら、その時点で現実の進歩も止まる訳です。
だから私達は、一生理想を追い続けたい。
私が働いて支え、その分夫が前進する。
私に出来ない事を夫がしてくれる。夫が「私達にとっての答え」を探し続ける。
その共同作業が、私達夫婦のかたちです。
(おわり)
次々と色々な辛い事が起こって来ても、
それに臆する事無く精進を続けて頑張れば、
必ず雲の上に青い空が見える運勢。
道(4)(5)を読んでいて、これは凄い道を選ばれているなあと、この言葉を思い出しました。
患者の気持ちにそってというのは本当に難しい事だと思います。
病気が発見?された時はすでに病気の方は進行している。
これを人間が追いかけているのだからなんと「損な闘い」をやっているのかと
後はめげない事だけなんでしょうけれど。
それを支えるお医者様のしんどさは仕事と言うだけではすまない
きつさだとつくづく思いながら読んでいました。
ありがとう。
素敵な言葉を有難うございます。
「良き時も悪しき時も」のパートナーでありたくても、
「悪しき時」のお付き合いの方が圧倒的に多いのが医者の仕事です。
それを自分の意思で選んだのですから、私の精一杯の最善を尽くすしかないのだと思っています。
ありがとう。ひかりさんもね!
あたたかい言葉をどうも有難うございます。
そう仰って頂けると、語りにくいテーマでも書いてみてよかったです。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
何も希望が無くなったら、先に進めませんものね。
姪が医者なのですが、まだ若いので、四苦八苦手探りの毎日だと言ってました。
日進月歩、、、、頑張って欲しいです。
余命宣告についてのテレビをつい最近見たばかりでした。
余命宣告を受けた患者は5段階のキモチの変化に見舞われると言っていました。
第一段階-否認
第二段階-怒り
第三段階-取引
第四段階-抑鬱
第五段階-受容
もの覚えの悪い私がよく覚えてたな~と自分自身思いますが、受容できずに亡くなる方も多いと思います。
そんな患者さんと寄り添いガイドするのは本当に大変な事です。
キモチは医学ではどうにもならない時もありますよね。
くまさん、本当にすごい!カッコイイです!
ジェリリンなら…そんな考えにたどりつけるだろうか…
くまさんが仰った、人生は山登り。
私がいつか書いた「妊娠~出産は登山」
オンナは自らの足で、オトコはゴンドラ&リフトで。
くまさんと私の内容があまりに違いすぎて、自分自身に「しっかりしろ!」って感じです。
またまた勉強させて頂きました!
特に心に響きました。
もう、臨床経験云々・・等と、取ってつけたコメントもできない
でしょう(言い過ぎたら、失礼申し上げますが)
私は、医学倫理は「理想」そのものだと思っていますし、その根底があってこそ、ここまで医学という分野が、発展してきたのだと。経営と医薬と名誉と・・・肥大してきた「医」の肉をそぎ落として、シンプルに「人が人の苦しみを手助けする」という本来の医学に進もうと模索していくこの御夫婦に「未来の医療」を感じずにはいられません。
初めてまして、お邪魔します。最後の頃の文章を読んで少し悲しいけれど納得したような・・・私は持病があって、ドイツに住んでいたら絶対に、どくとるくまさんに受診したかったと思いました。フランスなので残念です。またお邪魔します。
『道』何度も読ませて頂きました。
どうもありがとうございました。
医学には、白黒はっきりしている部分もありますが、とても曖昧なグレーの部分も多く、
悩みが消える事のない分野だなあと思います。
そんな中で、誰もが「自分にとっての答え」を見つけられるように、少しでもお手伝いできたら、と思います。
お母様も少しずつ落ち着かれましたか。わっふさんも、どうぞ無理なさらず。
凄い!暗記しようと思わずに覚えてしまっていたなんて。
私はジェリリンさんの生き方が大好きです。きっちり筋が通っていて、愛があって、頑張り屋で。
だからジェリリンさんは、そのままでいいと思いますよー。
(下の記事に書いたアトピーの子の母親の話しを聞いた時、「ジェリリンさんのところに弟子入りして修行して来い!」と思いましたよ。)
その節は、お気遣い頂いて本当に有難うございました。
私達夫婦が、せいぜい数十年の人生で、どこまで辿り着けるのか判りませんが、
一歩ずつでも前に進むように頑張ります。
いやいや、御夫君という専属医がおられて、私なぞお呼びじゃありませんよー。
でも、そう言って頂けて嬉しいです。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
あ、それはとっても嬉しいです♪
こちらこそ、有難うございます。
はじめまして。今回は野菜ジュースについてなんですけど。この記事の内容と外れていて申し訳ありません。
私もここ5ヶ月ぐらい、毎日野菜ジュースを飲んでいます。やはり、肌の調子がいいし、胃とか消化器系の調子もいいので、夫婦で毎日飲んでいます。最初の2−3ヶ月は毎日700cc飲んでいましたが、多分にんじんの取り過ぎだと思うのですが、手のひらとか足の裏が、何か黄色ぽっくなってきたので、いまは毎日350−400cc飲んでいます。
私は人参のジュースの味がとても気に入ってしまって、毎日にんじんに、洋梨やリンゴなどの果物を入れて作ったジュースを飲んでいます。大根やきゅうりなどはジュースが水っぽくなるし、ほうれん草などの緑色の野菜は、ジュースの味が苦くなって、あまり好きじゃありません。
(その2につづく)
わたしの質問は、毎日にんじんのジュースでいいのでしょうか?
それとも、毎日違った野菜を入れて、作った方がいいのでしょうか?
くまさんはどのような野菜を使われますか?
私達夫婦は、野菜サラダが大好きで、ほぼ毎日、トマト、レタス、ルッコラとかの野菜いっぱいのサラダを食べるようにしているので、たぶんバランスは取れているとは思うのですが、、、
お忙しいところ、誠に申し訳ないのですが、もし私の質問にお答え頂ければ、とても光栄です。
理想のカタチですね。心を支えあい、一緒に進んでいく。おいらもきっとこんな恋をするんだと信じていたのに、まるきり違っていたものでした。くまさんの夫婦のカタチにあこがれながら、おいらには縁がないというのは寂しい。でもひとはいろいろだし。美術館で心奪われる絵を見るように、くまさんの人生を垣間見れたら、それだけで自分を律していける気がします。
日本の医者が鍼灸はSLEに良くないって言っていましたが、どうなのでしょうか?その医者は診察がとても傲慢だったので一度限りでその後は、行かなかったのですが。どくとるくまさんは、どのようにお考えですか?20年ほど前に一度鍼灸を受けたのですが、次の日はとても具合が悪くなったことを覚えています。
よろしくお願いします。
勿論毎日違った野菜・果物で旬のものを使うのが理想的ですが、味や値段との兼ね合いもありますから、それは個人の判断だと思います。
私が使っている基本材料は、野菜ジュースの記事に書き加えておきました(過去記事にもコメントできますよ!)。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
マンジロウ氏もバナナを譲ったところでお株が上がりましたね!
私は垣間見えるあいざぁさんの愛情表現も大好きです♪
リンク有難うございます!末永くよろしくお願いします。
SLEに鍼灸がよくないというのは、私には初耳です。やり方次第ではないかと思うのですが。
鍼灸をして1、2日は、どーっとだるかったり痛みが出たりという事もありますが、その後でぐんと楽にならなくてはおかしいと思います。
ただ、私の鍼灸の知識はドイツで得た中国寄りのものですので、日本の鍼灸界の考え方とは違う部分も多いと思います。
うちの本館のリンク集に「ヨモギ日記」というブログがあるのですが、彼女は本当に真摯にやっておられる鍼灸師さんですので、更に詳しい事は彼女に質問なさっては如何でしょうか。
第一段階はリハビリで11月に帰ったらすぐに始める予定です。
でも先生がアルファベットと日本語では違うからどうかな?でもやってみようと言ってくださいました。その時はご相談にのっていただけたら助かります。
お医者さまがいらっしゃるということが、とにかくとても嬉しいです。
心が温かくなりますね。
私は延命治療などは望まないと思います。その時になってみない
と分かりませんが。私のことを考えて、私のために最善を尽くして
くださる、心のこもったお医者さまのもとで、穏やかに死を迎える
ことができたら幸せだと思います。
>「どう生きて、どう死ぬか。」
私はどこか病気や死に対する強い不安感がいつもあったのです
が、でももし重い病にかかっても、一緒に考えて導いてくださる
お医者さまがいると思うだけで、とても安心できました。
ご夫婦で共同作業。とても素敵だと思います。
どくとるくまさんのブログに出会えてよかったと、心から思います。
さっそく、くまさんのジュースの記事を開けて、もう一度読みました。お世話になりました。
ジストニアとは、つらいですね。リハビリ応援しています。
(以下、余計なお節介だったら聞き流して下さいね。)私にはフランスの事情はわかりませんが、もし御夫君がそちらの方にも興味がおありでしたら、いっそ鍼灸の資格もとってもらうというのはどうでしょうか。資格をとる段階でトップクラスの先生方にも出会うので、最初はそちらに治療してもらいに行く事もできますし。
いつも心のこもった言葉を有難うございます。
こういう言葉にふさわしくあるよう、前進を続けるように頑張ります。
野菜ジュースでおいしい健康生活、是非続けて下さいね。
何故私がフランスにいないか・・・
それは・・・
フランス語が全く出来ないからです(どっかーん)。
というのはさておき、どうぞお大事に。
ゆっきぃさんが、病と上手に付き合いながら幸せに暮らせますように。
anthonbergさんのブログ、私も少し前に何度かお邪魔していたので、びっくりしました。
そして、大黒柱というのもびっくり。それであれだけ家事もなさっているなんて、凄い!
手術待ちが6か月というのは深刻ですね。ドイツでも、命に係わりのない手術なら待たされる事がありますけれども・・・。
これからも、どうぞよろしくお願いします。