2009年 07月 30日
須澤通・井出万秀「ドイツ語史」によせて |
旧制松本高校時代の北杜夫氏が、望月市恵先生のもとでドイツ文学に傾倒していく姿が、「どくとるまんぼう青春記」に書かれています。
そうして育てられた弟子達が、次の世代を育てる。
そんな伝統のあるうちの独文独語は、兎に角厳しいので知られていました。
専攻を決める時の面接で、4人の独文独語の教官陣に囲まれた。
その中に「ここに書いてある動機は本当?」と何度もしつこく訊いてきた人がいて、
私は「本当です」と繰り返し答えながら、かなり憮然とした。
それが、須澤先生との出会いでした。
そうして学部に上がった時、ドイツ語の教科書を開いて愕然としました。
「歯が立たない」なんてものではない。
語の原形がわからないから、辞書すら満足にひけない。
さっぱり解らなくて、予習するにできず、そのまま先生の初授業に臨んだら、
「次回もこうなら、もう僕の授業は一切とらないでもらう」
と厳しく厳しく叱責されて、青ざめました。
何しろ、教養部の第二外国語でABCから始めて、
お遊びのようなドイツ語を1年学んだだけで学部に上がり、
それからの3年間で、ドイツ語で卒論を書くところまで語学力をつけなくてはならない。
それは、並み大抵の事では達成できないのです。
厳しいから学生達からは敬遠され、私の学年は独文独語を合わせても、たったの3人。
しかも一人は4月で脱落し、もう一人はドイツ語学者の息子という半玄人。
2年生から院生まで一緒の授業も多く、私一人が最低レベルでした。
何時間も掛かって、やっと数行しか訳せない。
徹夜で予習した分が、授業の最初の半時間ももたないで終わってしまう。
何とか予習した部分で当てて欲しいと、祈るような気持ちで座っている緊張感。
当てられて間違えると、「死ね」「除名」「処刑」などの怒号が飛ぶ。
冷や汗と泣きべそで、先生の授業では生きた心地がしませんでした。
或る日、当てられて、
泣きたい思いで「これ以上予習できませんでした」と言って怒声を待ったら、
思いがけない事に、「何時間予習したんだ?」と訊かれた。
「徹夜しました」と答えたら、先生は黙って次の学生を当てられた。
私はといえば、叱られるかと一旦すくめた首を、亀のようにそろそろとまた出して、何故怒られないのかキョトキョトした。
今思えば、あんな簡単なテキストを徹夜でその分量しかこなせないとは、開いた口が塞がらないというもので、もう叱るに叱れなかったのでしょう。
余りの私の不出来ぶりに呆れ、私が地質学科に通い詰めていた事から、
「お前は穴ばっかり掘っていて、脳みそまで掘ってきたのか」と言われたりもしましたが、
実は陰では、教授会で私の地質通いが問題になると、一人で矢面に立って私の事を庇ってくれていたと聞いた事もあります。
卒業後、ドイツ医学留学のための書類を用意するのに、これまた教授会を通さねばならず、
「120%無理に決まっている無駄な事に力を貸して」と先生まで非難を受けながらも、
ただ一人私の味方となって、書類を揃えて下さった。
私はドイツ文学を専攻していたので、
先生の専門であるドイツ語学の授業は僅かしか受けられませんでしたが、
「Vergissmeinnichtは何故二格なのか」といった話しは、今も鮮明に記憶に残っています。
在学中に先生からは、ただの一言も褒めてもらった事がなくて、もらう成績も、良や可ばかり。
初めて褒め言葉を頂いたのは、卒論の口頭試問の場で、聞き違いかと耳を疑った。
そして卒業式の後で成績表を開いたら、オール優だった。
もうそれが嬉しくて嬉しくて、あの帰り道の春の陽射しが今も忘れられない。
卒業後、就職して世間のしがらみに捕らわれて、
ドイツ留学の夢が段々遠くなって、それを許容し始めた時、
先生の「お前、堕落したな」という一言で、冷水を浴びせられたかのように目が覚めた。
そんな先生のお陰で、今の私があります。
私の在学時代、「本を書くので忙しい」というのが先生の口癖で、
でも私達学生は皆、それを単なる言い訳だと思っていたのですが、
この春にその本が共著で出版されました。
日本語でのドイツ語史の本は、改訂版や翻訳本を除くと半世紀ほども出版されておらず、
だから私も、ドイツ語史の本を読んだのは、実はこれが初めてでした。
「これ一冊あれば、全ドイツ語史の概要が解る」という優れもので、
私のような専門外の者が読んでも、「そういう事だったのか」と面白い。
先生が掛けられた歳月に想いを馳せながら、私も大切に少しずつ読ませて頂きました。
厳しかった伝統も、今は昔。
今の世でそれをすると、すぐに親が出てきて、訴えられてしまうのだとか。
先生の怒号の陰にかくれている愛に気付かぬ、骨なし能無し。
教える方も学ぶ方も、本気で体当たりせねば、語学など身に付く筈がない。
私にドイツ語を叩き込んでくれたのは先生なのに、
そんな宝の持ち腐れとは、何とも勿体ない事です。
(↑Amazonリンク)
by germanmed
| 2009-07-30 00:00
| 思い出
|
Comments(22)
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september30 at 2009-08-02 22:06
同じ大学生なのに、くまさんと私とは何という、天と地ほども違う学生生活だったのでしょう!! 田舎の高校からポット東京に出て、めくるめく大都会の魔力に侵された私は、徹夜で勉強した事などただの一度もなく、その代わり徹夜で遊んでいました。その報いに当然ながらずっと後になって苦しみました。学生時代のくまさんの素晴らしい根性はそのまま現在まで生きているようですね。
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hymylapsi at 2009-08-03 00:15
ブログを読んだ後、なんだかとても自分自身が恥ずかしくなりました。
現在、フィンランド語を独学で勉強している私には、誰からも何も言われることはありません。甘えればそのまま堕落・・・新たにまた気持ちを入れ替えて、取り組んでいきます。
ありがとうございます。本当にいいものを読ませて頂きました^^
現在、フィンランド語を独学で勉強している私には、誰からも何も言われることはありません。甘えればそのまま堕落・・・新たにまた気持ちを入れ替えて、取り組んでいきます。
ありがとうございます。本当にいいものを読ませて頂きました^^
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germanmed at 2009-08-03 00:17
★september30さん、こんにちは。
うちの大学は山しかない田舎でしたし、何しろこの先生が怖かったものですから(笑)。
でも、懐中電灯の光だけでピアノの練習を繰り返されたseptember30さんの事を思えば、まだまだ甘いかも知れません。
うちの大学は山しかない田舎でしたし、何しろこの先生が怖かったものですから(笑)。
でも、懐中電灯の光だけでピアノの練習を繰り返されたseptember30さんの事を思えば、まだまだ甘いかも知れません。
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germanmed at 2009-08-03 00:28
★hymylapsiさん、こんにちは。
いえいえ。私もここまで厳しくされなかったら、自力でなんて、とても辿り着かなかったと思いますから。
本当に、この先生のお陰なのです。
いえいえ。私もここまで厳しくされなかったら、自力でなんて、とても辿り着かなかったと思いますから。
本当に、この先生のお陰なのです。
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nono_ra at 2009-08-03 07:31
どくとるくまさんの学生時代のお話を読み、自分はなんて低レベルの
ところにいるんだろうと思いました。
本気にならなければ語学など身に付く筈がない・・と、今回つくづく感じました。
人との出会いに感謝し、くまさんの努力を思って私も新たな気持ちで
取り組んでいこうと思います。
ところにいるんだろうと思いました。
本気にならなければ語学など身に付く筈がない・・と、今回つくづく感じました。
人との出会いに感謝し、くまさんの努力を思って私も新たな気持ちで
取り組んでいこうと思います。
厳しくともついて行きたいと思える師に出会えたということは、魚が水を求めるように無心に学ぶ意欲があったからこそ。出会いは引き寄せるものだからです。ある意味羨ましい。そして自分が恥ずかしい。
私は本ばかり読んで寝そべっているグータラ学生でした。第1志望ではない大学に来てしまったことで、何をする気力も無く無為に過ごしたあの時間が、人生で1番勿体無い4年間でした。
どくとるくまさんに、脱帽。そして感謝です。
学んだ師のことを生徒が覚えていてくれて、その「学び、研究するDNA」を受け継いでくれることこそ、師の本望なのですから。
たとえその裾野の広がりを見ることが叶わなくても。
私は本ばかり読んで寝そべっているグータラ学生でした。第1志望ではない大学に来てしまったことで、何をする気力も無く無為に過ごしたあの時間が、人生で1番勿体無い4年間でした。
どくとるくまさんに、脱帽。そして感謝です。
学んだ師のことを生徒が覚えていてくれて、その「学び、研究するDNA」を受け継いでくれることこそ、師の本望なのですから。
たとえその裾野の広がりを見ることが叶わなくても。
同感です。教えて頂いていた時は、感謝どころか恐怖でいっぱいでした。あの時の英文法の先生がいなければ、今の私は米国にはおりませんでした。。
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germanmed at 2009-08-04 03:25
★nono_raさん、こんにちは。
いえいえ、私は先生に本気にさせられただけなのです。
実は私は文法や単語の暗記が大嫌いで、英語は苦手科目だったのですが、
ドイツ語をやってみて初めて、「語学は本気にさえなれば、誰にでもできる」という事を知りました。
いえいえ、私は先生に本気にさせられただけなのです。
実は私は文法や単語の暗記が大嫌いで、英語は苦手科目だったのですが、
ドイツ語をやってみて初めて、「語学は本気にさえなれば、誰にでもできる」という事を知りました。
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germanmed at 2009-08-04 03:25
★寧夢さん、こんにちは。
もう、無心どころか、有無を言わさず・・・でして(笑)。
先生の単位は必修でしたので、「処刑」よりも「除名」が怖くて。
私も実は第一志望の大学ではなかったのですが、山が好きだったので、ま、いっか・・・となったいい加減さでした。でも、この大学に進んだから今の私がある訳で、ここでよかったなー、と今は心から思えます。
もう、無心どころか、有無を言わさず・・・でして(笑)。
先生の単位は必修でしたので、「処刑」よりも「除名」が怖くて。
私も実は第一志望の大学ではなかったのですが、山が好きだったので、ま、いっか・・・となったいい加減さでした。でも、この大学に進んだから今の私がある訳で、ここでよかったなー、と今は心から思えます。
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germanmed at 2009-08-04 03:25
★花子さん、こんにちは。
語学って、怖い先生だと断然伸びますね。
そして、あれだけボロクソに叱られてばかりだったのに、まるで可愛がられていたような思い出になっているのです。
語学って、怖い先生だと断然伸びますね。
そして、あれだけボロクソに叱られてばかりだったのに、まるで可愛がられていたような思い出になっているのです。
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なおこ
at 2009-08-04 03:49
x
何事もちゃんと身につけようと思ったら、やっぱりそれなりの苦しい思いをしなければだめですよね。くまさん、良い先生に出会われましたね。
辛口の愛情表現もいいですねー。でもやっぱり今の(特にドイツの)子どもたちには通用しないかなあ・・・??
辛口の愛情表現もいいですねー。でもやっぱり今の(特にドイツの)子どもたちには通用しないかなあ・・・??
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くるり
at 2009-08-05 14:24
x
くるりです、こんにちは。
くまさんの学生時代、本当に良き恩師に巡り合えたんですね。
そしてくまさんが教授のシゴキ(?)に耐えて応えようとがんばっておられた。
先生もくまさんのことを誇りに思っていらしたんでしょうね、
陰でかばってくださったりと。
ありがたいですよね。
この人なら不屈の闘志で、初心を貫徹できるに違いないと、
約十年前に見抜かれた先生には、先見の明がおありだったと思いました。
くまさんの誠実な思いのこもった記事と誠実なコメ返、
いつも楽しみにしています。
そんなくまさんのブログにはやはりコメントも真剣なものが集まりますね。
お追従ばかりのコメントとは違って、読ませていただくこちらも
気持ちが引き締まります、努力には勝てない!
自分に言い聞かせています。
人が人をよぶというのは、本当なんだなあと思えました。
くまさんの学生時代、本当に良き恩師に巡り合えたんですね。
そしてくまさんが教授のシゴキ(?)に耐えて応えようとがんばっておられた。
先生もくまさんのことを誇りに思っていらしたんでしょうね、
陰でかばってくださったりと。
ありがたいですよね。
この人なら不屈の闘志で、初心を貫徹できるに違いないと、
約十年前に見抜かれた先生には、先見の明がおありだったと思いました。
くまさんの誠実な思いのこもった記事と誠実なコメ返、
いつも楽しみにしています。
そんなくまさんのブログにはやはりコメントも真剣なものが集まりますね。
お追従ばかりのコメントとは違って、読ませていただくこちらも
気持ちが引き締まります、努力には勝てない!
自分に言い聞かせています。
人が人をよぶというのは、本当なんだなあと思えました。
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germanmed at 2009-08-05 19:49
★なおこさん、こんにちは。
あら、ドイツの方が日本の子より根性なしだと思われますか?
辛口も辛口、いくら何でも、間違えて「死ね」はないですよね~。あはは。
でもそれが、師の愛だったんですよね。
あら、ドイツの方が日本の子より根性なしだと思われますか?
辛口も辛口、いくら何でも、間違えて「死ね」はないですよね~。あはは。
でもそれが、師の愛だったんですよね。
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germanmed at 2009-08-05 19:49
★くるりさん、こんにちは。
お久しぶりです♪
そんな風におっしゃって頂けると、とても嬉しいです。有難うございます。
返コメは、どうしても一言二言の簡単なものになってしまって心苦しいのですが、
私の方が皆さんのコメントから力を頂いています。
お久しぶりです♪
そんな風におっしゃって頂けると、とても嬉しいです。有難うございます。
返コメは、どうしても一言二言の簡単なものになってしまって心苦しいのですが、
私の方が皆さんのコメントから力を頂いています。
くまさん お久しぶり。
この本のレビューを、ずっと待っていました。
本当にすばらしい本だと思います。
うちの日記にも、トラックバックかリンクを張らせてもらいますね。
もう、読みたいという人が、何人もいるのよ。
それから、楽天、ちょっと復活したので、サイトのリンクもさせていただきます。
この本のレビューを、ずっと待っていました。
本当にすばらしい本だと思います。
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もう、読みたいという人が、何人もいるのよ。
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germanmed at 2009-08-07 03:39
★schatzky☆さん、こんにちは。
少しずつ大事に読んでいたものだから、こんなに遅くなってしまいました。
トップの夏の写真がまた合う季節になりましたね(笑)。
凄い宣伝、リンク、トラックバックどうも有難う♪
欲を言えば、記事の中にこの記事へのリンクが欲しいです。
少しずつ大事に読んでいたものだから、こんなに遅くなってしまいました。
トップの夏の写真がまた合う季節になりましたね(笑)。
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了解です!!早速入れますね。
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germanmed at 2009-08-08 03:29
★schatzky☆さん、こんにちは。
どうも有難う!!!
私の方が、思い出話しが長くなって、本の内容の紹介が簡単になってしまったので、
schatzky☆さんが内容紹介してくれて、とっても助かりました。
どうも有難う!!!
私の方が、思い出話しが長くなって、本の内容の紹介が簡単になってしまったので、
schatzky☆さんが内容紹介してくれて、とっても助かりました。
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Maulwurf
at 2009-08-10 09:34
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今は昔の,苦くも懐かしい話ですね.
今の学生は,それほど鍛えられていないようで,中には不満に思っている人たちもいるようです.
僕は,文学の嫌味な先生が,心からの恩師です.今も時々訪ねてはあの毒舌を楽しんでいます.
今の学生は,それほど鍛えられていないようで,中には不満に思っている人たちもいるようです.
僕は,文学の嫌味な先生が,心からの恩師です.今も時々訪ねてはあの毒舌を楽しんでいます.
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germanmed at 2009-08-12 00:18
★Maulwurfさん、こんにちは。
お久しぶりです。
あら、Maulwurfさんには苦かったのですね。ふふ。
お久しぶりです。
あら、Maulwurfさんには苦かったのですね。ふふ。
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by
かず坊
at 2017-09-25 23:36
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始めまして、私も旭キャンパスでS澤先生、I出先生、K丹先生に教えを受けたものです。いわゆる、Kameradenの一人です。偶然、この書き込みを見つけて投稿しました。
当時も『鬼の独語』と言われ、一般教養のO澤先生の授業でさえ、半期で絵本を一冊読んだと思えば、さらにと"Der spanischer Rosenstock"という50ページの短編小説を読ませるなど、他の外国語に比べて違う雰囲気がありました...。厳しい一方で、学生の無謀な挑戦は前面的に後押しする、そういう風土があったように思います。
くまさんの書き込みを読んで、「まったくや!」と当時を大変懐かしく感じました。「除名!」という言い回しを久しぶりに見て思わず笑ってしまいました。
当時も『鬼の独語』と言われ、一般教養のO澤先生の授業でさえ、半期で絵本を一冊読んだと思えば、さらにと"Der spanischer Rosenstock"という50ページの短編小説を読ませるなど、他の外国語に比べて違う雰囲気がありました...。厳しい一方で、学生の無謀な挑戦は前面的に後押しする、そういう風土があったように思います。
くまさんの書き込みを読んで、「まったくや!」と当時を大変懐かしく感じました。「除名!」という言い回しを久しぶりに見て思わず笑ってしまいました。
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by
germanmed at 2017-11-11 21:18
> かず坊さん、はじめまして。
お、という事は、多分近い年代ですね。
「除名!」ねー。今だから笑えますが、一番最初の頃は毎回ぐさぐさ心臓をやられてました。わはは。
お、という事は、多分近い年代ですね。
「除名!」ねー。今だから笑えますが、一番最初の頃は毎回ぐさぐさ心臓をやられてました。わはは。