私もシャルリーじゃない |
私が実際にシャルリー・エブドの諷刺画なるものを目にして感じたのは、
これが「表現の自由」として命を懸けて守らなければならないものか?
これが諷刺?単なる過激な挑発や嫌がらせではなく?
という事でした。
いつかこのような事態になる事は既に懸念されており、厳重な警戒もされており、
それでも続けた。
それは「命を懸ける」というよりも、「命を捨てる」行為。
私には、そういうシャルリー・エブドの動機よりも、
今回のテロリスト達の動機の方が理解しやすい。
(注:飽くまでも「理解」であって、「共感」ではありません。)
信仰の対象というものは、人によっては命よりも大切なもの。
私は「イスラム教は本来平和な宗教である」とは思っていません。
突き詰めていけば、テロリスト達の方が教えに忠実ではないか。
(↑この辺は「Islam and Terrorism」に詳しい。)
でも、イスラム教徒の大半は心底「イスラム教は本来平和な宗教である」と思っているので、
そういう「平和なイスラム教徒」達に矛先が向いてはならない。
【諷刺・風刺】
①遠まわしに社会・人物の欠陥や罪悪などを批判すること。
②それとなくそしること。あてこすり。
【諷刺画】
社会または個人の過失・欠陥・罪悪などの諷刺を目的として、機知的・冷評的に描かれた絵画。カリカチュア。ポンチ絵。
(「広辞苑」より)
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Erich Ohser(1903-1944;逮捕され裁定前夜に牢獄で自殺)
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手と足をもいだ丸太にしてかへし
万歳とあげていつた手を大陸へおいて来た
胎内の動きを知るころ骨(こつ)がつき
タマ除けを産めよ殖やせよ勲章をやらう
半島の生まれでつぶし値の生き埋めとなる
母国掠(かす)め盗った国の歴史を復唱する大声
最後の一羽がたふれて平和にかへる決闘場
しゃもの国万歳とたふれた屍を蝿がむしつてゐる
をんどりみんな骨壷となり無精卵ばかり生むめんどり
鶴彬(1909-1938;治安維持法違反で逮捕され拘留中に赤痢で死亡)
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私にとって、命懸けの諷刺とはこういうもの。
生き延びた宮武外骨もね。
記事で有名で、普段から脅迫電話や抗議の電話が
鳴っていた様です。
私も命を懸けるとも違うと思いましたね。
そのようですね。
命は大事にして欲しいと思います。
ほほーう、そんな「やらせ」の報道写真だったのですか。
テロ(殺人)はいかん。それは勿論ですが、だから「私はシャルリー」となるのには抵抗があります。
日本は日本で、目が離せない状況になってきましたね。