遣る方なし(1)弱者を切り捨てる社会 |
載せるかどうか迷ったけれど、やっぱりここに記録しておこう。
何年後かに読んで「ぷぷっ青いわ」と笑えるような状態になっている事を願って。
私は日本で客商売をしていたので、結構世渡り上手な方だと思います。
相手の顔色を見てさっと反応する。
(こちらの人はこれが苦手で、火に油を注ぐような言動をとる事が多く、見ちゃおれぬ。)
上司達を煩わせたり反論する事は、滅多にない。
言われた事は必ず実行する。面倒を押し付けられても命令には従う。
私の性格上、おべんちゃら・ごますりは絶対にしないけれど、
上下関係というものは伊達ではないのだから、自分の意見は飲み下す事が多い。
そうして「黙ってよく働く部下」でいる事によって、上司の覚えもめでたく、
いざという時に耳を傾けてもらえる。クビにされない自信もある。
(そもそも十代の頃から「じじキラー」の異名を取る私・・・ほほほ)
その「いざという時」が続きました。
或る手術直後の、知的障害の患者さん。
知的障害としては比較的軽症な方で、
言動がちょっと普通の枠から外れているだけ。
ところが、そういう彼の存在にケチをつける人達がいる。
「こんなに手がかかる患者を受け入れるなんて、何を考えている」
「傍迷惑だ。精神科に送るべきだ」
精神科では、この手術後のリハビリの仕方など知らないから、
送ったら最後、今回の手術自体が無駄になってしまう可能性もあるのに。
そんな彼が、ふらりと無断外出して、
外で騒ぎを起こしてしまって、何と警察まで来てしまった。
そうしたら、「次にこんな事があったら、強制退院だ!」という声が出た。
私は怒った。
そりゃ、強制退院させるだけの正当な理由はある。
「うちでは面倒見切れません」と言って放り出しても、誰も文句は言えない。
でも、そうしたら、術後まもない彼はどうなる。
また、或る手術後に、便失禁に悩まされるようになってしまった患者さん。
いくらオムツをしても、臭うので社会生活に支障をきたすし、
肛門付近の肌も荒れて、傷口だらけ。そこは敏感な肌なだけに、これは痛い。
実際に彼の場合、まずは肌の治療から始めなければならなかった。
電流によって肛門を締める神経を刺激する器械があって、
使い方の説明や練習も必要であり、何より深刻な問題なので、
普段はしない処方を、こればかりは例外的にしました。
そうしたら、保険会社からクレームが来た。
「この器械が必要な理由を述べなければ、費用は負担できない」と言う。
私は怒った。
術後便失禁という病名のもとに処方してある。
それが理由として充分でないというのなら、自分が便失禁になってみるがよい。
普段なら、はらわたがマグマのように沸々と煮えくり返っていても、噴火させない。
その我慢は、こういう時のためなのだー。そして普段の私から豹変。
もくもくと噴煙を上げ灰を撒き散らし、ぺっぺっと溶岩を吐き出して、盛大なる噴火の末に勝利をおさめた。
でも、患者さん本人達は、私のこういう陰なる戦いの事は露知らず、なんだな。
どっと疲れる。
そしてまた、じっと我慢の日々が、一から始まるのだ。
(凹みシリーズ、つづく)
こんなに雨が続くと、今年の林檎は不作かしらん。
ついついまわりに知ってもらいたい気持ちが生まれます。
ぐっとこらえて前に進み続けるくまさんを応援します。
しかも自分のためじゃなくて、赤の他人のためなんですよね。
もう~アルゼンチンから肉を送りたいぐらいです。
陰で支えている人もいっぱいいますよ~。
遠すぎて支えにならないかしら?
秋のアルゼンチンからせめてエールを送らせて頂きます。
マグマをためて一気に噴火する火山のごとくですね。
ちなみ私も普段はおとなしい活火山です^^
患者さんが持てる正当な権利を代弁するのは並大抵のことではできないと思います。また、患者さん自身が言えない場合は特に。。。でもそういう先生にあたった患者さんは幸せだなと思いました。
有難うございます。
この冷え込みが過ぎたら、ドイツの一番いい季節が来る筈ですので、お楽しみ下さいね♪
そうそう。そういう事も知らずに、ちらりと不満を漏らされたりすると、
内心ウキーッとなる青い私です。
アルゼンチンのお肉を食べたら百人力の元気が出そうですね~ふふ。
旅行記の続き、ドキドキハラハラ待っています。
ドイツの健康保険・医療制度はとても優れているのですが、
それでも最近の政治は、弱者を切り捨てる方向に向かっている気がします。
政治家は強者ですから、自分達の事は守り続けて。
書類の諸々、頑張って下さいね!
The Beatlesと高橋竹山とは、話しが合いそう♪
私、高橋竹山のコンサートに行った事があるんですよ~。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
自分の計算高さに自己嫌悪気味になる事もよくあるのですが、
組織の中で「平」として働く以上は、矢張りそれは避けられない事なのかなあと思います。
september30さんに肯定して頂いて、とても嬉しかったです。有難うございます。
どうぞよろしくお願いします♪
私たちが見守って、また、応援していますので、爆発すべき時には、大爆発してくださいね。
もう治らない、後僅かの命と言われても、ひょっとしたらと
奇跡で治るかもしれないと死の寸前迄患者の家族は思っている。
「何もしてあげられない」と言われたらまだ救いは感じられる
でも、「治らないから退院しなさい」と言われてしまうと
じゃあ毎日死ぬ迄どうするのよと思ってしまう。
瀕死ばかりをかかえた大病院の内科の医師がどんどん萎えてきて、病院自体が病気みたいになっているのはなんとも切ない事でした。患者の愚痴を今さら言っても、死んだ人は帰っては来ないのは重々わかっていても。
それも手遅れでなくて、何度検査をしても発見出来なかった病気が特殊?な癌(血管肉腫)で何も出来ずにあっという間に。
哀しいですね。
いえいえ。すぐに愚痴をこぼすへなちょこなんです・・・実は。
凹みシリーズがまだ続きます。
有難うございます~うるうる。
看取りの医学は本当に難しいです。
病院が追い出すのは勿論いけませんが、
現実逃避の余り、最期の貴重な時を病院で無駄に費やしてしまうという事も多いですし。
「毎日死ぬ迄どうするのよ」と言われたら、私は個人的には、
病院のベッドにしがみついているよりは、
その一日一日を、出来れば家族と共に、愛しんで過ごして欲しいと思っています。
くまさんもおっしゃっているように看取りは難しい。確かに。
再期の貴重な時間ってどうやって過ごすのだろう、と、癌にかかって8年間、あらゆる抗癌剤を使って逝った友人が言いました。
思い出作りをしろと、主治医に言われたそうです。誰の為にどんな思い出作るの?と笑ってました。
なにもわざわざしなくても、彼女が生き抜いたのは私達に伝わりました。その彼女も死の直前迄効かないと言われてもやっぱり何もしないより辛くても抗癌剤を試したいと。
夫は癌の発見から3月でした、その間、何も治療法が考えられずに衰えてはいきましたが、テレヴィや映画で見る様な臨終感はありませんでした。身体も動き、意識もはっきりしていてまさかその日になるとは。誰も思わなくて、突然その瞬間がやってきて。自宅にいたので、夜中に救急車を呼び、医師を待つ間に亡くなりました。
病院ならもう少しなんとかなったかと思わないでもなかった、愚痴ですね。
なるほど、そういうご事情でしたか。確かに8年間の「思い出作り」はひどいですね。
(文句とは思っていませんよ~。ご心配なく!)
ご主人のように「突然」その瞬間が訪れるというのは、
残される者にとっては心の準備ができず、つらいものですが、
逆に考えれば、命が尽きるその最後の最後まで元気に自宅で過ごせたという事です。
与えられた時間を、何ものにも縛られずに過ごす事ができた。
沢山の死のあり方を見る中で、それは「願わくば私もそうありたい」と思う形です。
病院に辿り着いてチューブだらけで機械に囲まれてもうあと数日生き長らえるよりは、どれ程よい事か。
他人が何を言っても、後悔や悲しみは消えないと思いますが、
少しでも心の慰めになりますように。
ただこの3ヶ月の間にありとあらゆる検査を受けて。そうしなければ治療が始まらないと思うから受けましたが、検査自体もきつくて体力の消耗にもなったけれどそれ以上に度々の検査の結果が院内でスムーズにカルテが動かず。素人目には手遅れになったかと不信を感じました。
救いはたった一人でしたがくまさんのような患者の側に立って下さるお医者様に出会いました。
彼女が血管肉腫を発見されて抗癌剤を処置する為に内科に回す時カルテの搬送が遅くて手遅れになったらと、自分でわざわざ担当医迄運ばれて、それなのにそのカルテが行方不明になって一週間後に出て来たり、これがフランス一と言われる大病院かと思いました。彼女は「外科の医者だから抗癌剤の専門家でないからね」と哀しい顔をなさいました。
今さら言っても仕方が無いのは重々承知しているのに。
治療も出来ないのならあんなに沢山の検査は必要だったのかしら?とはちょっとは思っています。
ネットサーフィンをしていてこちらに漂着いたしました。
弱者を切り捨てる社会、そして医療。
私事ではありますが、今から20年前長男は2歳でAMLを発症し5歳で再発、骨髄性という事もあって治療は困難を極めました。
その間私は二つ違いの長女を実家に預けて長男に付ききりとなった経験があります。足掛け3年以上に及んだ入院で自らが弱者であることを痛感しました。
情報公開と言う概念さえまだ一般的ではありませんでした。
知らされずにいる恐怖と焦り。こっそり隠れて読んだ医学書。
今となっては遠い昔のこととなりましたが、あの時流した涙の熱さと歯ぎしりする無念の思いは今も忘れることができません。
急に立ち寄らせていただきましたので、またゆっくり伺って、くま先生のお話に耳を傾けてみたいと思います。
蛇足ですが、再発後にお世話になった先生を長男は「白くま先生」と読んでおりました。白くま先生がいらっしゃらなければ、私はもっとたくさんの涙を流したことと思います。
それは大変つらい思いをされましたね。お気の毒に。
病院によって、そしてその時の担当者や運によって、残念ながらあり得るのですよね。
それがあり得ないような万全の体制を整えておくにはお金が掛かり、
それを「無駄」としてどんどん削っていくのが、今日の政治の方向です。
医者はそれを諦めて許容してしまってはいけないと思うのですけれども。
これまた、つらい思いをなさいましたね。
子供の入院闘病だけでも苦しいのに、
更に家族を放っておかなければならないのは、本当につらい。
身を引き裂かれる思いだったのではないかとお察し致します。
そこに医療側の協力や理解がなければ、もうどこにも救いがない。
「白くま先生」がよい先生で、その偶然が嬉しいです。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
そればかりか拙ブログにまでお越し下さり、感謝です。
長期入院、それも子供の場合は特に、患者家族のケアが必要だと思います。でも、現実問題として、そうしたケアがなされる事は極まれである、というのが私の感想です。もっともかれこれ20年も前の話ですから、今はまた違う展開になっているかもしれませんし、そうであってほしいと願っています。
長男ですが、再発後、白くま先生によるBMTで再々発を免れ、現在は元気に美容師を目指しています。
本人いわく「長いこと自分に髪の毛がないことが不思議だった。
いつも特別な目で見られるのが厭だった。人の髪の毛がいつも気になるようになって、美容師になりたいって思う様になったんだ。」
???
これって飛躍しすぎではないかとも思うのですが(笑)。
病棟の掲示板に毎週イラスト入りで張り出されていたのを、古くなるともらってきて大切にしていました。
未だ40代だった白くま先生は、その後葡萄病を患い、長男が退院して間もなく大学病院をお辞めになりました。
先生は長男の病気だけでなく、私たち家族の心をも診て下さった方でした。
人生は本当に色々で、わからないものですね。
そして、これはまた、一味違う美容師さんの誕生になりそう。
ガンバレー♪
キッチン掃除を最近真剣に始めて、熱湯消毒って何だっけ?(^_^;)
ググッてたら辿り着きました。
担当医にとって、手に負えない(その先生にとって難病に該当)症例だったら
他のしかるべき人に手渡ししてあげるべきお話にPC画面を前にして
うなずきっぱなしになりました。。。
活火山♪のお話も、日頃からすぐ噴火する私にとってはとても良い
お勉強をさせて頂きました。ありがとうございます。
毎日、大変なスケジュールをこなされてお忙しいとは思いますが
くまさんもお身体ご自愛下さいませ。〃⌒ー⌒〃
有難うございます。hiyokoさんのところにもお邪魔したのですが、エラーになってしまってコメントできませんでした。
肩、どうぞお大事になさって下さいね。
これからも、どうぞよろしくお願いします。